2018/06/06(水)会津へ急ぐ秀吉

1590(天正18)年、7月に至って北条氏直が脱走し勝敗が決したとき、羽柴秀吉は会津への進軍を本格化させる。その前から道路工事などは行なっていたが、やはり冬の到来前に決着をつけたかったのだろう。

態令啓上候、其表如何之被仰付候哉、方々御苦労令推量候、切々以書状共、御見廻可申上処、御普請彼是不得隙故、令迷惑候、随而にら山相渡申付而、昨日にら山の御人数悉此表へ被相越候、然者八王寺之御人数も、此表へ可被参之旨、被仰遣候、筑前殿、越前衆、 中納言様御陣所被遣候、 中納言様ハ御本陣へ可被成御移之旨候、景勝、にら山衆半分、家康御陣所へ被遣、家康ハ江戸へ御越之由候、 上様も十五六日比ニ其元へ 被成御座、其より会津へ可被成御動座之旨、被仰出候、次ニ小田原種々御侘言申上、命御たすけ被成候様ニと上野殿御手前へ申候付而、三松様右之通被仰上候へハ、以外 被成御腹立、三松様を御自国御はらひ被成候、けんにうをも同前ニ被仰出候、其外相替儀無御座候、猶以貴面相催儀、可得尊意候、恐惶謹言。猶切々以書状も不申入、迷惑仕候、其表之儀、無御由断可被仰事、専一候ゝゝ、又大夫さま先度之御手柄之様子、毎度被仰出候、拙子式迄満足此事候、
七月四日/可遊(花押)/宛所欠(上書:浅弾正様参人々御中 一柳右近可遊)

  • 埼玉県史料叢書12_0939「一柳可遊書状」(浅野家文書)

折り入って申し上げます。

その方面はどのようにご指示なさっているのでしょうか。色々な苦労があるかと思います。詳しく書状でお伝えするよりもそちらに回って申したいのですが、ご普請であれこれ暇がありませんので、困っています。

そして韮山が開城して、昨日韮山の部隊が全てこちらに来ました。更に八王子の部隊もここへ来させるようにとおの仰せを出しました。筑前殿、越前衆、中納言様のご陣所へ使いを出して、中納言様はご本陣へお移りになるようにとの仰せです。

景勝と韮山衆の半分は、家康のご陣所へ送られました。家康は江戸へ移動するように、とのことで、上様も15~16日頃にそこへ移ります。そこから会津へご動座なさるとのこと、仰せ出しになりました。

次に、小田原について色々と侘言を申し上げてきて、命をお助けなさいますようにと、上野殿の御前で申したことについて、三松様が右の通りに申し出ましたら、とてもお腹立ちになられ、三松様をご自国からご追放なさいました。『けんにうをも』同前に仰せ出しになられました。

そのほかは特に変わったことはありません。更には直接お会いしてお考えを得たいと思います。

さらに、詳しい書状もいただけておらず、困っています。そちら方面のこと、ご油断なさらぬようにご指示されるのが大切です。又大夫さまは先の合戦でお手柄之様子。いつもご活躍で、私にとっても、満足とはこのことです。

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