2017/08/21(月)今川氏真の楽市導入 滅亡へのトリガー

「諸役免除」というと、宛所が非課税になったという理解だけになりがちだが、商業では二面性を持っていたと思われる。「役」という縛りは商人にとって、在地勢力への納税期務であると同時に、独占的既得権益でもあった。下の例だと、各役についての友野次郎右衛門尉への権限が今川氏真によって定められている。木綿役は友野が独占、酒役は「諸役免除の判形も出して、年来納税もないから今後も不要」とし、胡麻油の利益は以前通り収納せよとしている。役の徴収に当たっては「免除されている」と主張する者がいたら一度届け出をして、その上でも難渋するなら妥当な物品を押収せよとしている。


従前々取来木綿役之事
右、任先判形之旨領掌了、縦諸役免除之判形其外、彼役別而競望之輩有之上、雖出置判形、於駿河国中者不可立之、然者為馬衣木綿弐拾五端宛、如年来三田村かたへ可相渡之、次酒役之事、諸役免除之判形依有之、年来不沙汰之上者、於向後不可及其役、兼又胡麻油商買役之事、如前々可請取之、但号免許、自余之輩其役於無沙汰者、成一返之届、其上就難渋者、見合可押取之、及異儀者、堅可加下知者也、仍如件、
永禄四辛酉年八月二日/(今川氏真花押影)/友野次郎右衛門尉
戦国遺文今川氏編1730「今川氏真判物写」(国立公文書館所蔵判物証文写今川一)

下の今川被官らの証文は、茜の売買についてのもの。尾崎妙忍に判形が俄かに下され、前例がないと他国の商人らから訴状が上げられた。そこで今川家ではおのおのに判形を出して礼物を受け取っている。ここで締め切って、この後は判形を出さないとしている。この判形は茜売買の免許状としての「役」だろう。

就茜之儀、尾崎妙忍ニ
御判形雖被下之、無前々筋目、自他国之商人御訴訟之旨言上之処、被聞食分、各に御判形被下之畢、然者為其御礼段子拾段・金襴拾巻・虎皮二枚進上、即令披露候、縦重而加様之新役雖有競望之輩、一切不可有御許容旨、所被 仰出也、仍為向後一筆如件、
永禄十年十一月五日/三左元政花押・金遊芳線・伊左元慶・由内匠頭光綱/友野次郎兵衛とのへ・松木与三左衛門とのへ・他国商人中
戦国遺文今川氏編2155「三浦元政等連署証文写」(駿河志料巻七十八友野文書)

これを受けて下記を改めて考えてみる。

冨士大宮毎月六度市之事、押買狼藉非分等有之旨申条、自今已後之儀者、一円停止諸役、為楽市可申付之、并神田橋関之事、為新役之間、是又可令停止其役、若於違背之輩者、急度注進之上可加下知者也、仍如件、
永禄九年丙寅四月三日/(文頭に朱印「如律令」)/冨士兵部少輔殿
戦国遺文今川氏編2081「今川氏真朱印状」(静岡県立中央図書館所蔵大宮司富士家文書)

富士大宮毎月六度市のこと。押し買い・狼藉・非分などがあるとのことを
言ってきたので、今から後は諸役を全て停止し、楽市として申し付けるように。
合わせて神田橋の関は新役となるので、これもまたその役を停止させるように。
もし違背の輩がいたら、急いで報告し下知を加えるように。

市場で紛争があるために、今川氏真は富士氏に対してこの市場での「役」を停止して楽市とすることを指示している。受益者に文書が行く原則から考えると、楽市を望んだのは富士氏で、「役」を行使した商人を排除することが目的だだろう。

通常、在地で閉じた市場開放を行なうと、広域商人が介入して在地の独立性が損なわれる。この点から、同時期に近隣にいた葛山氏は保護政策を行なっている。

古沢之市へ立諸商人、除茱萸沢・二岡前・萩原お於令通用者、見合馬荷物相押可取之状如件、
永禄十丁卯八月三日/(朱印「万歳3型」)/芹沢玄蕃殿
戦国遺文今川氏編2137「葛山氏元朱印状」(御殿場市萩原・芹沢文書)

同様の傾向は後北条被官の上田氏にも見られる。

茂呂御陣より罷越兵粮并馬のかいれう、其外かい取度由、いか様之手引頼候共、一駄ハ不及申、一俵なり共、不可出、若出候ハゝ、荷馬を取へし、此儀、松山根小屋之足かる衆心ニ入、見まハり、かたく可申付、但、陣衆へ者、一さい少之義なり共、いろうましき者也、以上、
寅八月十六日/(朱印「長則」)/松山根小屋足かる衆本郷宿中
戦国遺文後北条氏編2013「上田長則朱印状写」(武州文書所収比企郡要助所蔵文書)

法度
一、山之根其外松山領ニおゐて、他所のあき人所用之物をかい取、其郷村より直ニよそへとをる由、聞届候、本郷之市へハたゝすして、かくれしのふ故ニ致之義、うり手くせ子細、第一ニ候事
一、かい手之義ハ、他所之者ニ候間、無是非候、さて又、松山領之者をハ、一類共ニせいはいをくハへ、妻をハひき野へ可出置事、うり手之義、おんミつニ可申上候
一、如此かい取、よそへとをり候荷物を、本郷の町人とも致談合、在ゝ所ゝニおゐて、かたくとめへき事
右、三ヶ条、仍如件、
辛巳九月晦日/(朱印「長則」)/岡部越中守・本郷町人中
戦国遺文後北条氏編2273「上田長則法度写」(武州文書所収比企郡要助所蔵文書)

上記の例では、押買が後北条氏サイドから仕掛けられ、上田氏が懸命に防いでいる様子が判る。

葛山・上田などの例でも、両氏が楽市を命じられた文書は残されていない(というより、受益者保持の原則から考えれば発給自体がなかった可能性が高い)。なおかつ、どちらも広域商人の侵入に反発している。

ではなぜ富士氏の場合は楽市を望んだのか。当時の駿河国は、下記のように他国の商人が一斉に浸潤してきている状況にあった。

今宿法度之事
一、毎年各江売渡絹布以下、為其価請取米穀、并当国諸損亡之年従勢州関東江買越米穀受用之時者、年来友野座方令商買云々、然而当年相改従米座方可計渡旨、新儀申懸之由曲事也、如前々可申付之、但商人等於令米商買者、米之座方江可申付事
一、京都運送之荷物路銭之事、壱駄参貫文宛爾相定畢、併友野相改之令一札、朝比奈下野守加裏判可通過事
一、他国之商人等除今宿他宿之事、前々無之処、近年濫之由太以曲事也、然者如往古今宿江可令致寄宿、若又於令居住商人者、友野其外年寄商人可令納得事
右条々、永領掌不可有相違者也、仍如件、永禄九丙寅年十月廿六日/(今川氏真花押影)/今宿商人等戦国遺文今川氏編2110「今川氏真判物写」(国立公文書館所蔵判物証文写今川一)

一、毎年おのおのへ売り渡す絹布以下、その価としての米穀受け取り、
当国凶作の年に伊勢より関東への買い取り米穀の受け取り、これは、
年来友野座が商売をしたという。であれば、当年より米座(が自ら)の計り渡しに
改めようと、新しく言い出したのは曲事である。以前通り申し付けるように。
但し、商人らが米を売買するのであれば、米の座へ申し付けること。

一、京都との運送荷物での運賃のこと。1駄が1貫文に決められている。
友野が改めて書面を出し、朝比奈下野守が裏に判を加えて通関すること。

一、他国の商人らを今宿を避けて他宿すること。以前はなかったことで、
近年は乱れているとのこと、大いに曲事である。往古のように今宿へ寄宿させる
ように。もしまた居住する商人がいれば、友野ほかの年寄商人が納得の上で
行なうべきこと。

本来は今宿という友野氏直轄の商業地のみに他国からの商人がいたはずが、逸脱して方々に居住し、友野氏も把握し切れていない状況が判る。この混乱を招いたのが何だったかは不明だが、大きな行政改革を行なっている氏真が関与していることは間違いがないだろう。

この流れに独力で対峙しようとしたのが葛山氏で、自力では抗しえず今川氏真の支援を乞うたのが富士氏だと考えられるかも知れない。氏真とすれば、これ幸いと楽市化したのだろう。

  1. 市場で他国の商人が紛争を起こす
  2. これらの商人は氏真からもらった「役」を盾にとっている
  3. 富士氏から氏真に対応を依頼
  4. 氏真は市場に付与した「役」を全面撤廃する
  5. 以前から存在していた在地の役も同時に撤廃される
  6. 広域で資本が大きな商人が、地域市場に入り込む

こうした手法で商圏を拡大し、その利潤を得ようとしたのが氏真の政策だったが、その代償は大きく被官たちからの反発が広まっていく。

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