2018/05/28(月)羽柴秀吉の戦時禁制

概要

『豊臣秀吉文書集』から、天正17年12月から翌年8月までの期間に、羽柴秀吉が発給した禁制を抜き出した。

その際に、種別を3つに分類してみた。

A型

発給数・範囲・期間が最も大きな標準型といえる。12月から8月まで、204件が残されている。下記が典型例で、「禁制」の下の所付と、太字になっている部分だけが異なるのみで他は全く同じ文言・表記となる。「対地下人百姓」が圧倒的に多いが、寺社向けには主に「寺家門前之輩」などが用いられる。また「土民」という表記もわずかにみられる。

文書例

禁制 『所付欠』一、軍勢甲乙人等乱妨狼藉事
一、放火事
一、対地下人百姓非分之儀申懸事
右条々若於違反之輩者、忽可被処罪科者也、
天正十七年十二月日/(羽柴秀吉朱印影)

  • 豊臣秀吉文書集2893「羽柴秀吉禁制写」(相州文書・東大史影写)早川村海蔵寺文書

一覧

発行月 文書番号 宛所 宛所種別 異同文言 備考
12月 2878 駿河国厚原 郷村
12月 2879 伊豆国大宮 郷村
12月 2880 信濃国 国名
12月 2881 信濃国 国名
12月 2882 駿河国御厨 郷村
12月 2883 遠江国 国名
12月 2884 遠江国 国名
12月 2885 遠江国 国名
12月 2886 遠江国 国名
12月 2887 遠江国 国名
12月 2888 遠江国 国名
12月 2889 三河国 国名
12月 2890 所付欠(海長寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
12月 2891 所付欠(駿河草薙神社旧蔵) 寺社 寺社だが郷村向け
12月 2892 所付欠(駿河志料) 未詳
12月 2893 所付欠(相州文書海蔵寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
12月 2894 所付欠(愛知県史平松眞氏所蔵文書) 未詳
12月 2895 所付欠(村松文書) 未詳
12月 2896 所付欠(森文書) 未詳
01月 2920 尾張国岩倉 郷村
01月 2921 尾張国西御堂三郷 郷村
01月 2922 駿河国御厨屋内茱萸沢 郷村
01月 2923 駿河国建穂寺 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2924 三河国山中法蔵寺 寺社 寺僧
01月 2925 遠江国 国名
01月 2926 遠江国二諦坊 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2927 所付欠(県文書) 未詳
01月 2928 所付欠(医王寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2929 所付欠(井口文書) 未詳
01月 2930 所付欠(蒲神社文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2931 所付欠(河合文書) 未詳
01月 2932 所付欠(鷺森別院文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2933 所付欠(三光寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2934 所付欠(静岡浅間神社文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2935 所付欠(駿河志太郡高根神社宛比定) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2936 所付欠(頭陀寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2937 所付欠(大円寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2938 所付欠(大善寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2939 所付欠(大悲願寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2940 所付欠(静岡県史料桃源院文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2941 所付欠(愛知県史鳥居家文書) 未詳
01月 2942 所付欠(成岡文書) 未詳
01月 2943 所付欠(蜂前神社文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2944 所付欠(浜松市博物館) 未詳
01月 2945 所付欠(原川文書) 未詳
01月 2946 所付欠(判物証文写) 未詳
01月 2947 所付欠(彦根藩井伊家文書) 未詳
01月 2948 所付欠(ひらつかの家康伝説) 未詳
01月 2949 所付欠(聞名寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2950 所付欠(龍潭寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3048 伊豆国西勝院 寺社 寺家門前之輩
04月 3049 伊豆国城府院 寺社 寺家門前之輩
04月 3050 伊豆国新島 郷村
04月 3051 上野国大胡領 郷村
04月 3052 相模国円覚寺 寺社 寺家門前
04月 3053 相模国建長寺 寺社 寺家門前
04月 3054 相模国光明寺 寺社 寺僧門前之輩
04月 3055 相模国鶴岡八幡宮 寺社 社家坊中
04月 3056 相模国二階堂郷中覚園寺他 寺社 寺家門前之輩
04月 3057 相模国宝戒寺 寺社 寺家門前之輩
04月 3058 相模国長谷寺 寺社 寺家門前
04月 3059 相模国東慶寺 寺社 寺家門前
04月 3060 上野国長楽寺他 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3061 相模国愛甲郡熊坂村 郷村
04月 3063 相模国不入斗郷西来寺 寺社 寺家門前之輩
04月 3064 相模国江ノ島 寺社 寺家門前之輩
04月 3065 相模国大中郡厚木 郷村
04月 3066 相模国大中郡荻野村 郷村
04月 3067 相模国大中郡恩名・及河 郷村
04月 3068 相模国大中郡讃多村 郷村
04月 3069 相模国大中郡田村之郷 郷村
04月 3070 相模国大中郡豊田三郷 郷村
04月 3071 相模国大中郡煤ヶ谷小屋入之郷 郷村 土民百姓等
04月 3072 相模国大中郡森の庄 郷村
04月 3073 相模国大平台 郷村
04月 3074 相模国狩野庄最乗寺 寺社 寺家門前族
04月 3075 相模国鎌倉感応院 寺社 寺僧門前之輩
04月 3076 相模国鎌倉長勝寺 寺社 寺家門前
04月 3077 相模国鎌倉補陀洛寺 寺社 寺家門前之族
04月 3078 相模国鎌倉内明月院 寺社 寺家門前輩
04月 3079 相模国鎌倉中 郷村 地下人町人
04月 3080 相模国小机庄 郷村
04月 3081 相模国小中郡今泉之郷他 郷村
04月 3082 相模国底倉 郷村
04月 3083 相模国玉縄内村岡郷 郷村
04月 3084 相模国茅ヶ崎郷・両浜 郷村
04月 3085 相模国堤村 郷村
04月 3086 相模国土肥郷法善院 寺社 寺僧門前之輩
04月 3087 相模国西郡金子郷 郷村
04月 3088 相模国西郡栢山村善栄寺 寺社 寺僧門前之輩
04月 3089 相模国西郡国府津 郷村
04月 3090 相模国西郡曽我他 郷村
04月 3091 相模国東郡今田・亀井野 郷村 寺家門前之輩 郷村だが寺社向け
04月 3092 相模国東郡梅沢 郷村
04月 3093 相模国東郡恩馬郷 郷村
04月 3094 相模国東郡小薗郷 郷村
04月 3095 相模国東郡青蓮寺 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3096 相模国東郡大長寺 寺社 寺僧門前
04月 3097 相模国東郡国分村国分尼寺 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3098 相模国東郡八幡 郷村
04月 3099 相模国東郡比企谷妙本寺 寺社 寺家門前
04月 3100 相模国東郡本覚寺 寺社 寺家門前
04月 3101 相模国東郡本蓮寺 寺社 寺家門前
04月 3102 相模国三浦郡芦名郷浄楽寺 寺社 寺家門前
04月 3103 相模国三浦郡内浦之郷龍真寺 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3105 相模国三浦大妙寺 寺社 寺家門前
04月 3107 相模国高座郡渋谷庄他 郷村
04月 3108 下野国大中寺 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3109 下総国庄内十六郷 郷村
04月 3110 武蔵国大滝 郷村
04月 3111 武蔵国椚田郷高乗寺 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3112 武蔵国城立寺 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3113 武蔵国東国寺 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3114 武蔵国鉢形 郷村
04月 3115 武蔵国山口他 郷村 寺家門前之輩 郷村だが寺社向け
04月 3116 武蔵国稲毛郡作延郷 郷村
04月 3117 武蔵国稲毛郷河崎六ヶ村 郷村
04月 3118 武蔵国江戸報恩寺 寺社 寺家門前之輩
04月 3119 武蔵国荏原郡世田谷郷 郷村
04月 3120 武蔵国荏原郡江戸の内牛込 郷村
04月 3121 武蔵国遠藤郷法泉寺 寺社 寺僧門前之輩 相模国の誤記
04月 3122 武蔵国荏原郡忍の内龍淵寺・熊谷 郷村
04月 3123 武蔵国金沢称名寺 寺社 寺家門前之輩
04月 3124 武蔵国久良岐郡十二郷 郷村
04月 3125 武蔵国久良岐郡日野村 郷村
04月 3126 武蔵国久良岐郡宝生寺 寺社 寺家門前
04月 3127 武蔵国久良岐郡内長田郷 郷村 土民百姓等
04月 3128 武蔵国久良岐郡内本牧 郷村 土民百姓等
04月 3129 武蔵国小机之内千ヶ崎郷総泰院観音堂 寺社 寺僧門前之族
04月 3130 武蔵国昌龍寺 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3131 武蔵国白金郷阿佐布善福寺 寺社 寺僧門前之輩
04月 3132 武蔵国関戸郷 郷村
04月 3133 武蔵国橘樹郡小田村 郷村
04月 3134 武蔵国多東郡中野郷 郷村
04月 3135 武蔵国多東郡補陀郷 郷村
04月 3136 武蔵国都築郡小机之内庄内 郷村
04月 3137 武蔵国都筑郡内麻生郷王禅寺村 郷村
04月 3138 武蔵国豊島郡江戸吉祥寺 寺社 寺家門前之輩
04月 3139 武蔵国豊島郡江戸増上寺 寺社 寺家門前之輩
04月 3140 武蔵国豊島郡浅草十二坊 寺社 寺僧門前之輩 写し文書で、東照宮御朱印とあり
04月 3141 武蔵国二俣川郷 郷村
04月 3142 武蔵国師岡保内十二ヶ郷 郷村
04月 3143 所付欠(韮山真珠院文書) 寺社 門前百姓
04月 3144 所付欠(新編武州古文書法華寺所蔵) 寺社 寺僧門前之輩
04月 3145 所付欠(静岡県史原文書) 未詳 写し文書で、石田治部承之とあり
04月 3146 所付欠(武州文書) 未詳 土民百姓等
04月 3147 所付欠(武州文書) 未詳 土民百姓等
05月 3235 上総国市原庄八幡郷他 郷村
05月 3236 相模国大中郡落合郷長徳寺 寺社 寺家門前之族
05月 3237 相模国西郡内国府津郷真楽寺 寺社 寺家門前
05月 3238 相模国東郡当麻郷 郷村
05月 3239 相模国三浦郡野比郷最宝寺 寺社 寺家門前之族
05月 3240 下野国常陸国田野他 郷村
05月 3241 常陸国鹿島宮 寺社 社内門前之輩
05月 3242 常陸国知足院 寺社 寺家門前族
05月 3243 武蔵国河越蓮馨寺他 寺社 寺社だが郷村向け
05月 3244 武蔵国大田之庄久喜郷甘棠院 寺社 寺社だが郷村向け
05月 3245 武蔵国忍之内清水正伝院 寺社 寺家門前之輩
05月 3246 武蔵国多西郡高幡村・河辺村 郷村
05月 3247 武蔵国多西郡内落川村 郷村
05月 3248 武蔵国多西郡内三沢村 郷村
05月 3249 武蔵国多西郡内由木之郷 郷村
05月 3250 武蔵国奈良集福寺 寺社 寺家門前之輩
05月 3251 武蔵国山田庄河越卅三郷内豊田郷他 郷村
05月 3252 所付欠(結城市史越前山川文書) 未詳
05月 3253 所付欠(内閣文庫諸国文書) 未詳
06月 3281 上総国一宮観明寺 寺社 当寺中并門前之百姓等
06月 3282 上総国長南三途台長福寺 寺社 当寺中并門前之百姓等
07月 3334 武蔵国足立郡内浦和宿 郷村
07月 3335 安房国清澄寺 寺社 当寺中并門前之百姓等
07月 3336 常陸国石塚 郷村
07月 3337 陸奥国佐竹知行滑津他 郷村
07月 3338 陸奥国矢田安房守領内 郷村
07月 3339 上総国光福寺 寺社 当寺中并門前之百姓等
07月 3340 上総国神野寺 寺社 当寺中并門前之百姓等
07月 3341 上総国高谷円明寺 寺社 当寺中并門前之百姓等
07月 3342 下野国高田専修寺 寺社 寺社だが郷村向け
07月 3343 武蔵国多東郡足立庄内鳩井村 郷村
07月 3344 出羽国荘内田川郡 郷村
07月 3345 常陸国金砂西山 郷村
07月 3346 常陸国千妙寺 寺社 当寺中并門前之百姓等
07月 3347 三河国大山山龍渓院 寺社 寺僧門前輩
07月 3348 陸奥国岩城知行分某 郷村
07月 3349 所付欠(秋田藩家蔵文書) 未詳
07月 3350 所付欠(大阪城天守閣) 未詳
07月 3351 所付欠(兵庫県史大芋文書) 未詳
07月 3352 所付欠(常総遺文) 未詳
07月 3353 所付欠(千光寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
07月 3354 所付欠(相馬文書) 未詳
07月 3355 所付欠(南部家文書) 未詳
07月 3356 所付欠(福田文書) 未詳
07月 3357 所付欠(万福寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
07月 3358 所付欠(来迎寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
07月 3359 所付欠(来迎寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
07月 3360 所付欠(来迎寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
07月 3361 所付欠(来迎寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
08月 3416 尾張国津島天王境内 寺社 神主五ヶ村之族
08月 3417 出羽国仙北九郎知行分 郷村
08月 3418 所付欠(安土城考古博物館) 未詳
08月 3419 所付欠(尾崎文書) 未詳
08月 3420 所付欠(栃木県立文書館坂入浩一家文書) 未詳
08月 3421 所付欠(思文閣古文書資料目録) 未詳
08月 3422 所付欠(編年文書) 未詳
08月 3423 所付欠(安井家文書) 未詳

B型

厳密にいうと禁制ではなく定書。12月・1月・8月で合計19件。文言の異動は細かい表記で見られるが、文意や名詞が大きく異なることはない。

文書例

定 駿河内ふから一、軍勢味方の地にをいて乱妨狼藉の輩、一銭きりたるへき事
一、陣取にをいて火を出す族あらは、からめとり出すへし、自然逐電せしめハ、其主人罪科たるへき事
一、ぬか・わら・薪・さうし以下亭主に相ことハり可取之事
右条々若令違犯者、忽可被処厳科旨被仰出候也、
天正十七年十二月日/(羽柴秀吉朱印影)

  • 豊臣秀吉文書集2897「羽柴秀吉定書」(判物証文写・東大史影写)

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発行月 文書番号 宛所 宛所種別
12月 2897 駿河国深良 郷村
12月 2898 駿河国御厨屋内竹下 郷村
12月 2899 遠江国 国名
12月 2900 所付欠(池田村共有文書・静岡県史料) 未詳
12月 2901 所付欠(因幡志) 個人名ヵ
12月 2902 所付欠(中村文書) 個人名ヵ
12月 2903 所付欠(溝口文書) 個人名ヵ
12月 2904 所付欠(歴代古案) 個人名ヵ
01月 2951 所付欠(吉川家什書) 個人名ヵ
01月 2952 所付欠(思文閣古書資料目録) 個人名ヵ
01月 2953 所付欠(反町文書) 個人名ヵ
01月 2954 所付欠(尊経閣古文書) 個人名ヵ
01月 2955 所付欠(多賀文書) 個人名ヵ
01月 2956 所付欠(中川家文書・神戸大学文学部) 個人名ヵ
01月 2957 所付欠(播州小野藩一柳家史料) 未詳
07月 3362 浅野弾正少弼 個人名
08月 3424 石田治部少輔 個人名
08月 3425 羽柴越後宰相 個人名
08月 3426 所付欠(宇都宮家蔵文書) 個人名ヵ

C型

4月から登場し、47件残存している。百姓に還住を命じ、耕作を再開させようとしている。5月に3件、6月・7月にそれぞれ1件ずつがあるほかは、4月に集中している。文言はかなりの異動があり、状況に応じて書き分けているように見える。

文書例

禁制 相模国飯泉山坊中
一、衆徒地下人等急渡令還住事
一、軍勢甲乙人立帰之寺院・百姓家不可陣取事
一、対衆地下人非分之義申懸族有之者、可申出、并竹木麦毛不可可刈取事
右若違犯之輩者、速ニ可被処厳科者也、
天正十八年四月日/御在判

  • 豊臣秀吉文書集3062「羽柴秀吉禁制写」(勝福寺文書)

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発行月 文書番号 宛所 宛所種別
04月 3062 相模国飯泉山坊 寺社
04月 3148 伊豆国岩科郷 郷村
04月 3149 伊豆国宇佐美 郷村
04月 3150 伊豆国大竹村他 郷村
04月 3151 伊豆国小坂郷 郷村
04月 3152 伊豆国重須郷 郷村
04月 3153 伊豆国狩野内田代郷 郷村
04月 3154 伊豆国川奈郷他 郷村
04月 3155 伊豆国久料 郷村
04月 3156 伊豆国古宇 郷村
04月 3157 伊豆国白田村 郷村
04月 3158 伊豆国田中郷内大仁村 郷村
04月 3159 伊豆国田中郷内狩野牧村 郷村
04月 3160 伊豆国田中郷内修禅寺 寺社
04月 3161 伊豆国田中郷内長岡村 郷村
04月 3162 伊豆国田中郷内三福村 郷村
04月 3163 伊豆国田中郷倭文村 郷村
04月 3164 伊豆国長浜村 郷村
04月 3165 伊豆国西浦庄内三津郷他 郷村
04月 3166 伊豆国箱根寺家門前 寺社
04月 3167 伊豆国肥田郷他 郷村
04月 3168 伊豆国牧之郷 郷村
04月 3169 伊豆国松笠郷 郷村
04月 3170 伊豆国三島護摩堂 寺社
04月 3171 伊豆国三島大明神 寺社
04月 3172 伊豆国某 郷村
04月 3173 相模国神山村他 郷村
04月 3174 相模国大山坊中 寺社
04月 3175 相模国金子村 郷村
04月 3176 相模国河村郷 郷村
04月 3177 相模国国府の郷 郷村
04月 3178 相模国星谷寺・座間七ヶ村 郷村
04月 3179 相模国西郡赤田他 郷村
04月 3180 相模国西郡栢山郷 郷村
04月 3181 相模国西郡酒匂郷 郷村
04月 3182 相模国西郡飯田郷 郷村
04月 3183 相模国狩野庄 郷村
04月 3184 相模国西郡延沢金井島 郷村
04月 3185 相模国西郡松田郷 郷村
04月 3186 相模国東郡懐島三ヶ村 郷村
04月 3187 相模国日向小屋・七沢小屋・煤ヶ谷小屋 郷村
04月 3188 所付欠(武家事紀) 未詳
05月 3254 下総国万満寺 寺社
05月 3255 武蔵国足立慈眼寺 寺社
05月 3256 所付欠(集古文書) 未詳
06月 3283 下総国東昌寺 寺社
07月 3363 上総国真里谷真如寺 寺社

その他

例外的に1文書だけ、条書ではない定書が存在する。

文書

定 駿河一花堂
軍勢甲乙人等陣取事、堅被停止之訖、若違犯之輩於有之者、可被処罪科者也、
天正十八年二月十五日/(羽柴秀吉朱印影)

  • 豊臣秀吉文書集2964「羽柴秀吉定写」(長善寺文書)

2018/05/28(月)織田信長の戦時禁制

織田信長の戦時禁制で条書ではないもの

信長禁制はほぼ条書だが、永禄10年にある3件は非条書で例外的な存在。

多芸庄椿井郷。当郷之儀、依為太神宮領、伊勢寺内相構之旨、得其意候、然者陣取・放火・濫妨・狼藉、其外伐採竹木等、非分之族申懸之事、一切令停止畢、若於違背輩者、可加成敗者也、仍状如件、
永禄十年九月日/(織田信長花押)

  • 増訂織田信長文書の研究0070「織田信長禁制」(大西源一氏蒐集文書・伊勢古文書集一上)

北加納。右当郷百姓等、可罷帰候、然上者伐採竹木、猥作毛苅取、於令狼藉者、可成敗者也、仍下知如件、
永禄十年九月日/(織田信長花押)

  • 増訂織田信長文書の研究0071「織田信長禁制」(美濃円徳寺制札)

当寺并門前可為如前々、猥伐採竹木、於致陣取・放火・濫妨・狼藉輩者、可加成敗之状如件、
永禄十九月日/信長(花押)/崇福寺

  • 増訂織田信長文書の研究0072「織田信長禁制」(美濃・崇福寺文書)

戦時禁制・条書一覧

『増訂織田信長文書の研究』から、戦時のものと思われる禁制を抽出し、それらの箇条書き部分だけを表にした。

「軍勢」「甲乙人」「押執」のいずれかがが含まれているものを戦時と判断した。

一覧

文書番号 条項1 条項2 条項3 条項4 条項5 手数料記載 宛所
1555(天文24)年 07月 補遺049 諸軍勢濫妨・らうせきの事 放火之事 竹木を伐取事 尾張正法寺
1558(永禄元)年 12月 0026 軍勢甲乙人等、濫妨・狼藉之事 於境内殺生并寺家門外竹木伐採、令借宿事 祠堂物、買得・寄進田地、雖為本人子孫違乱事 准総寺庵、引得之地、門前棟別・人夫諸役等相懸、入譴責使事 於国中渡・諸役所事 白坂雲興寺
1558(永禄元)年 12月 補遺051 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 於境内殺生并寺家門外、竹木伐採之事 祠堂物、買徳、寄進田地、雖為出人子孫、不可致違乱之事 門前棟別、人夫諸役等相懸、入譴責使之事 於国中渡・諸役所之事 尾張正眼寺
1560(永禄3)年 12月 0028 軍勢甲乙人等、濫妨・狼藉之事 於境内殺生並寺家・門外竹木伐採、令借宿事 祠堂物、買得・寄進田地、雖為本人子孫違乱事 准総寺庵、引得之地、門前棟別・人夫諸役等相懸、入譴責使事 於国中渡・諸役所之事 東竜寺
1561(永禄4)年 05月 補遺112 甲乙人濫妨狼藉事 陣取放火之事 伐採竹木事、付諸役免許之事 北野村真福寺
1561(永禄4)年 06月 0029 甲乙人等、濫妨・狼藉之事 陣取・放火之事 伐採竹木之事 平野之内神戸市場
1563(永禄6)年 04月 0034 当手軍勢、濫妨・狼藉、陣取・放火、於境内殺生、況剪山林・竹木事 寺内・門前棟別・夫丸・譴責使并祠堂米徳政之事 為祠堂、若有寄進地、縦雖闕所之地類、違乱之族、次末寺諸庄園同前之事 妙興寺
1563(永禄6)年 10月 0038 濫妨・狼藉、放火之事 伐採竹木事 殺生之事 祠堂、買得・寄進田地令違乱事 寺領百姓已下新儀諸役之事 曼荼羅寺
1564(永禄7)年 10月 補遺007 当手軍勢甲乙人等、濫妨・狼藉、陣取、放火之事 於境内殺生、況伐採山林・竹木事 準総寺庵、棟別・人夫等相懸、并門前東西尾呂小家等入譴責使事 祠堂米寄進田地、徳政并俵物相留事 於方丈并諸寮舎要脚事 水野郷定光寺
1567(永禄10)年 09月 0073 陣取・放火之事 濫妨・狼藉之事 伐採竹木、猥立作毛苅事 千手堂
1568(永禄11)年 09月 0101 当手軍勢濫妨・狼藉之事 放火事 廻船令違乱事 沖島
1568(永禄11)年 09月 0102 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取・放火之事 伐採竹木之事 飯高
1568(永禄11)年 09月 0103 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣執、放火之事 非分之族申懸之事 京都上京
1568(永禄11)年 09月 0104 当手軍勢濫妨・狼藉事 陣執、放火之事 非分之族申懸之事 吉田郷
1568(永禄11)年 09月 0106 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 八瀬
1568(永禄11)年 09月 0107 当手軍勢濫妨・狼藉事 陣執、放火之事 伐採竹木并非分之族申懸事 四条あまへ
1568(永禄11)年 09月 0108 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、放火、付非分課役之事 伐採山林・竹木之事 賀茂社領境内六郷
1568(永禄11)年 09月 0109 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木并非分申懸之事 若王子并■■
1568(永禄11)年 09月 0110 当手軍勢濫妨・狼藉之事 伐採山林・竹木事、付放火事 為私相懸矢銭・兵粮米事 大山崎
1568(永禄11)年 09月 0111 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 紫野大徳寺同門前
1568(永禄11)年 09月 0112 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣執、放火之事 伐採竹木、并非分申懸之事 妙心寺
1568(永禄11)年 09月 0113 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木、非分申懸之事 南禅寺同門前
1568(永禄11)年 09月 0114 当手軍勢濫妨・狼藉事 陣執、放火之事 伐採竹木、并非分之族申懸事 新知恩院
1568(永禄11)年 09月 0115 当手軍勢濫妨・狼藉之事 放火、付殺生之事 伐採山林竹木事 清水寺同門前
1568(永禄11)年 09月 0116 当手軍勢・濫妨・狼藉之事 陣執、放火之事、付寄宿 伐採竹木之事 東寺同境内
1568(永禄11)年 09月 0117 当手軍勢濫妨・狼藉事 陣執、放火、付伐採竹木事 為私矢銭・兵粮米申懸之事 嵯峨郷清涼寺
1568(永禄11)年 09月 0118 当手軍勢濫妨・狼藉之事 為私相懸矢銭・兵粮米非分之事 陣取、放火、伐採竹木、田畠荒事 西八条遍照心院并境内
1568(永禄11)年 09月 0119 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、寄宿、放火之事 非分之族申懸之事 本能寺
1568(永禄11)年 09月 0120 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木、非分申懸之事 妙伝寺
1568(永禄11)年 09月 0121 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取・寄宿、并伐採竹木之事 放火、相懸矢銭・兵粮等非分之事 妙顕寺
1568(永禄11)年 09月 0122 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣執、放火之事 伐採竹木之事 尼崎本興寺并寺中
1568(永禄11)年 10月 0128 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、寄宿、放火之事 相懸矢銭・兵粮米等事 大和法隆寺
1568(永禄11)年 10月 0129 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 永原
1569(永禄12)年 03月 0158 軍勢甲乙人濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 山林伐採竹木之事 刀田山鶴林寺
1569(永禄12)年 03月 補遺065 新儀之諸公事免許、付郷質・所質不可押執事 寺社領当知行分、不可有相違之事 山林伐採竹木、非分不可申懸之事 志賀郡伊香立
1569(永禄12)年 08月 0197 甲乙人等濫妨・狼藉事 陣取、放火之事 為下々猥非分申懸之事 勢州宇治朝熊三村
1570(元亀元)年 06月 0239 甲乙人濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 菅浦
1570(元亀元)年 06月 0242 甲乙人濫妨・狼藉之事 陣取、放火并矢銭等之事 伐採竹木、并酒飯仕出事 菅浦
1572(元亀3)年 10月 0345 陣執之事 伐採竹木之事 国役之事 西庄永明寺
1573(元亀4)年 03月 0365 当手軍勢、甲乙人乱妨・狼藉事 陣取、放火之事 山林竹木伐採事 矢銭・兵粮米等相懸事 新儀非分之族申懸事 大山崎惣庄中
1573(元亀4)年 07月 0381 濫妨狼藉・放火并陣取之事 矢銭已下申懸之事 寺領令違乱之事 和州西京薬師寺
1573(天正元)年 08月 0389 濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 別印村千福知行方
1573(天正元)年 08月 0391 甲乙人等、濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 惣社大明神并社家
1573(天正元)年 08月 0392 甲乙人等、濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 御簾尾村
1573(天正元)年 08月 0393 濫妨・狼藉、放火之事 陣取之事 山林伐採竹木之事 井川村
1573(天正元)年 08月 0394 甲乙人等、濫妨・狼藉之事 伐採山林竹木之事 非分族并寄宿之事 敦賀西福寺
1573(天正元)年 08月 0395 濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 滝谷寺并門前
1573(天正元)年 08月 0396 甲乙人等濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 長崎村称念寺
1573(天正元)年 10月 0418 濫妨・狼藉之事、付矢銭之事 陣執、放火之事 伐採竹木、非分申懸事、付諸役事 一身田無量寿寺并門前
1574(天正2)年 01月 0440 陣取并寄宿等、不可有之、付不可伐採竹木事 矢銭・兵粮米并雖当座之取替、不可懸之事 諸給人入地・入被官等、如先規不可有異儀、付堂衆之儀、是又可為如先規事 和州法隆寺
1574(天正2)年 06月 補遺145 陣取放火事 濫妨狼藉事 伐採竹木事 三州山中勅願所法蔵寺門内門前
1574(天正2)年 11月 0485 軍勢・甲乙人、不可陣取、濫妨・狼藉事 不可伐採山林・竹木事 臨時之諸役令免除畢、并霊供米不可違乱事 金戒光明寺
1575(天正3)年 09月 0551 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事 越州織田庄
1575(天正3)年 09月 0552 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事、付陣取事 高田門徒境内熊坂郷
1575(天正3)年 09月 0553 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事 越州永平寺
1575(天正3)年 09月 0554 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事 越州寮村
1575(天正3)年 09月 0555 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事 越州新郷郷
1575(天正3)年 09月 0556 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事 越州竹守村
1575(天正3)年 09月 p94参考(柴田勝家発給) 当郷百姓等、早々可還住事 新儀非分之族申懸輩在之者、為地下人可直奏、并祀銭・礼物已下於立入者、双方可為同罪事 伐採山林・竹木者、押置可注進事 織田寺・同門前
1575(天正3)年 09月 p99参考(柴田勝家発給) 当郷百姓等、早々可還住事 新儀非分之族申懸輩在之者、為地下人可直奏、并祀銭・礼物已下於立入者、双方可為同罪事 伐採山林・竹木者、押置可注進事 越州新郷郷
1575(天正3)年 09月 補遺164 軍勢甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事 越前石場庄
1575(天正3)年 09月 補遺165 軍勢甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事 越州風尾村
1576(天正4)年 05月 0643 軍勢・甲乙人等、乱入・狼藉事 伐採山林・竹木事 陣取事 紀伊国大田
1577(天正5)年 03月 0705 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事 泉州松尾寺
1578(天正6)年 04月 0765 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 苅取麦事、付放火事 天王寺境内
1578(天正6)年 11月 0798 甲乙人等、乱妨・狼藉事 放火事 伐採竹木事 上牧郷
1578(天正6)年 11月 0799 軍勢・甲乙人等、乱入・狼藉事 陣取事 伐採山林・竹木事 塩川領中所々
1579(天正7)年 04月 0823 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 相懸矢銭・兵粮米事 陣取事 新儀課役事、付寺領違乱事 和州西京薬師寺
1580(天正8)年 03月 0856 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 新儀諸役事 壊取家事 摂州塚口
1580(天正8)年 03月 0857 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 新儀諸役事 理不尽入譴責使事 摂州西宮
1580(天正8)年 03月 補遺099 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 新儀課役事 理不尽入譴責使事 摂州湯山
1582(天正10)年 03月 0986 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 相懸箭銭・兵粮事 信州諏訪明神社家
1582(天正10)年 03月 0987 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 相懸箭銭・兵粮事 信濃国諏訪神宮寺境内
1582(天正10)年 03月 0988 当寺陣取之事 乱妨・狼藉事 放火之事 上坊
1582(天正10)年 03月 0989 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 非分課役事 上坊院内
1582(天正10)年 03月 0990 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 相懸箭銭・兵粮米事 仁科郡栗尾山満願寺
1582(天正10)年 03月 0991 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 相懸矢銭・兵粮等事 放火事 信州下諏方慈雲寺境内
1582(天正10)年 03月 0992 籠屋落所之事 濫妨・狼藉之事 放火之事 乾福寺
1582(天正10)年 03月 0993 甲乙人等、濫妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆料等、一切禁制事 吉野郷
1582(天正10)年 03月 0994 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓已下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同事 信州小県内南牧村
1582(天正10)年 03月 0995 甲乙人等、濫妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆料等、一切禁制事 武井ノ庄田辺郷
1582(天正10)年 03月 0996 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同 小林村
1582(天正10)年 03月 0997 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 相懸箭銭・兵粮米事 大野郷雨方
1582(天正10)年 03月 0998 甲乙人等、乱入・狼藉事 対立帰地下人・百姓、成煩事 懸矢銭・兵粮等事 比地郷
1582(天正10)年 03月 0999 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住地下人百姓、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆料等、一切禁制事
1582(天正10)年 03月 1000 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 非分課役事 甲州巨摩郡伝嗣院境内
1582(天正10)年 03月 1001 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同禁制事 保■郷
1582(天正10)年 03月 1002 甲乙人等、濫妨・狼藉之事 陣取・放火之事 還住之者、違乱之事 奈良原
1582(天正10)年 03月 1003 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同禁制事 川口郷
1582(天正10)年 04月 1017 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲州諏訪社
1582(天正10)年 04月 1018 甲乙人等、乱妨・狼藉之事 於宮中ニ陣取、放火之事 往還之貴賎、社中投一宿之事 八幡宮
1582(天正10)年 04月 1019 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同事 御嶽山
1582(天正10)年 04月 1020 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、令煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲州二宮郷
1582(天正10)年 04月 1021 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同事 西山慈照寺
1582(天正10)年 04月 1022 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 非分課役事 法善護国寺境内
1582(天正10)年 04月 1023 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同事 千塚郷穀蔵寺
1582(天正10)年 04月 1024 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 中郡仁勝寺
1582(天正10)年 04月 1025 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 非分課役事 恵雲院
1582(天正10)年 04月 1026 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採竹木事 非分課役事 甲州府中長慶寺
1582(天正10)年 04月 1027 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 実相院
1582(天正10)年 04月 1028 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 山梨郡少林寺
1582(天正10)年 04月 1029 甲乙人等、乱妨・狼藉事 剪採山林・竹木事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 楢原郷光西寺境内
1582(天正10)年 04月 1030 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 岩手村信盛院
1582(天正10)年 04月 1031 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲斐法正寺
1582(天正10)年 04月 1032 軍勢甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事、付、堂舎壊取事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲州塩山向岳寺門前
1582(天正10)年 04月 1033 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲斐雲峯寺
1582(天正10)年 04月 1034 甲乙人等、乱妨・狼藉事 山林・竹木伐採并殺生事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 東林院
1582(天正10)年 04月 1035 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 非分課役事 柏尾山境内
1582(天正10)年 04月 1036 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甘利内須沢郷
1582(天正10)年 04月 1037 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 巨麻中郡山上郷
1582(天正10)年 04月 1038 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲斐神戸郷
1582(天正10)年 04月 1039 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 小室郷
1582(天正10)年 04月 1040 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同事 下宮地郷(宛所に「八幡神主参」)
1582(天正10)年 04月 1041 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 甲州上条
1582(天正10)年 04月 1042 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲州下井尻郷
1582(天正10)年 04月 1043 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲斐岩下郷
1582(天正10)年 04月 1044 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲州西保郷
1582(天正10)年 04月 1045 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 仏師原郷
1582(天正10)年 04月 1046 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲州於曽郷
1582(天正10)年 04月 1047 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 八代郡西海郷
1582(天正10)年 04月 1048 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出候 所付欠
1582(天正10)年 04月 1049 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同事 所付欠
1582(天正10)年 04月 1050 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 所付欠

2018/04/24(火)ハードネゴシエーターとしての遠山康光

遠山康光に関しては既にひとつ記事にしている。

遠山康光の実像

しかし彼の事績はこれだけに収まらず、交渉人としての動きもまた興味深い。

上杉との交渉

「遠山康光」というと、後北条と上杉が延々と交渉し続けた越相同盟の交渉人であり、越後に養子入りした三郎景虎の付き人という印象が強い。しかし、康光が越相同盟に登場するのは比較的遅く、北条氏政が参入した書状で取次役として出てくる永禄12年3月7日を待たねばならない。

雖未申通候、令啓候、抑駿・甲・相年来令入魂候処、武田信玄被変数枚之誓約之旨、駿州へ乱入、当方之事、無拠候条、氏真令一味、駿州之内至于薩埵山出張、自正月下旬于今、甲相令対陣候、因茲先段以天用院・善得寺、愚存之趣、越へ申届候キ、猶彼御出張此時候条、以遠山左衛門尉申候、畢竟各御稼所希候、恐ゝ謹言
追而、松石越府へ被打越由候間、不及一翰候、以上、
三月七日/氏政(花押)/河田伯耆守殿・上野中務少輔殿

  • 戦国遺文後北条氏編1173「北条氏政書状」(上杉文書)

ではなぜ氏政は康光を取次に選んだのかというと、康光が上杉被官と既知の間柄だったからだろう。

沼田両所へ以御直札被仰届候、仍以前松石・上中拙者へ御書中、本望存候、其以後不申通候、幸之間、此度両所へ令啓札候、松石越山之由承届候間、重而可申入候、何茂被成御心得、被仰届頼入候、以面上可申達候条、令省略候、恐ゝ謹言、
三月十日/遠左康光/信濃守殿御宿所

  • 戦国遺文後北条氏編1176「遠山康光書状写」(歴代古案一)

沼田の両所へ直接のお手紙で仰せ届けられました。以前の、松石・上中から拙者へのご書中(紹介状カ)は本望に思います。それ以後はご連絡をしませんでしたが、時宜を得てこの度両所へご連絡しました。松石が越山なさるとのことですから、重ねて申し入れします。何れもお心得いただき、仰せ届け下さいますようにお願いします。直接お会いして申しますので、省略させていただきます。

上杉被官の松本景繁・上野家成が、敵方の康光に連絡をとる行動というと、永禄7~8年に足利義輝から上杉輝虎へ北条氏康との和睦を斡旋した件が思い浮かぶ(下記2通)。この頃に、景繁・家成から由良成繁に打診があり、康光と繋がったと思われる。

北条左京大夫氏康与和睦事、去年差下藤安申遣之処、内存被聞召訖、雖然、急度可遂其節事簡要候、為其、対氏康差下使節、申越候間、其以前於及行者、不可然候、猶晴光可申候也、
三月廿三日/(足利義輝花押)/上杉弾正少弼とのへ

  • 神奈川県史資料編3下7433「足利義輝御内書」(上杉文書)永禄8年比定

北条左京大夫氏康与御和談事、去年被差下同名兵部少輔、御内存趣、委細被 聞食候、雖然、被閣是非、急度被遂其節者、可為肝要候、為其相州へ被越差御使候条、其以前御行事、御用捨専一候、此等之通、得其意、可申由被仰出候、恐ゝ謹言、
三月廿三日/陸奥守晴光(花押)/謹上上杉弾正少弼殿

  • 神奈川県史資料編3下7435「大館晴光添状」(上杉文書)永禄8年比定

古河公方との交渉

では、数ある後北条被官からなぜ康光が選ばれたかというと、古河公方家の調整を行なっていたからではないか。下記の朱印状(永禄6年比定)では、伊豆国大見の「御乳人」を佐貫へ送ることを瑞雲院周興が依頼してその手配を、康光が奉者として愛洲某に指示している。

豆州大見御乳人、佐貫江被越付候者、瑞雲院如作意、船・ゝ方相調、二艘も三艘も可走廻候、又其内飛脚船入候者、何篇も可走廻者也、仍如件、
亥卯月廿七日/(虎朱印)遠山奉之/愛洲代

  • 戦国遺文後北条氏編0811「北条家朱印状」(渡辺文書)

古河公方との交渉は江戸衆の遠山綱景も加わっていたので、その流れで一族の康光が動いた可能性がある。ただ、それだけではない事情を示す文書もある。

今川との交渉

売渡申三島之宿屋敷之事。合四拾五貫文者。右、彼代物者、孫三郎之代、丙午年十二月廿日ニ、四日町御蔵銭ヲ被致借用候、従其明之年、我ゝ家を請取候、公方銭之事候之間、急度相済可申候へ共、貴所へ別而申承候間、無沙汰申候、殊更此代物者、巳年遠山左衛門尉駿府へ被遣候、其時四日町御蔵より、参拾貫文罷出候、是者孫三郎方預りへ升辺蔵へ被仰付候処、筆違ニて四日町与御印判候間、子細可被申分候へ共、江城ニ 御屋形様御座候間、先ゝ卅貫文被出候歟、加様之代物令算用、四拾五貫文ニ知行被渡候得共、我ゝ無力付而、無沙汰申候、算用候者、過分ニ罷成候共、別而知音申候間、三島屋敷進置候、我ゝ子ゝ孫ゝ於被官已下、永代違乱在間敷候、将又年貢等諸伝役、此屋敷ニ不可有之候、破家ニ候へ共、亭・居屋・蔵屋・厩共四ツ并而進置候、如前ゝ我ゝ罷越候時者、宿ニ可致之旨、此分違乱妨可有之候、仍如件、
天文廿年辛亥十二月廿三日/清水大郎左衛門尉康英(花押)/瑞泉庵参

  • 戦国遺文後北条氏編0405「清水康英屋敷売券写」(新井氏所蔵文書)

これは遠山左衛門尉=康光の初見文書となるが「巳年」つまり天文14年は、6月以降で今川・後北条を和睦させようとしている動きがある。この時の主体者は京の足利義晴。前年から北条氏康に書状を送って上洛を促していたが、今川との紛争を理由に断られていた。そのため、近衛稙家からの使者を小田原に送ったり、駿府に聖護院道増を派遣したりしている。最後まで今川義元が受諾せず、その同盟相手である武田晴信にも諫められている。

去年以書状申候処、依無通路使節令上洛候条、重而申候、抑与駿州御和談之儀、内々武命之事候間、以無為之儀相調候者、可為珍重候、巨細之段使節申含候条、不能詳候状、如件、
六月七日/(近衛植家花押)/北条新九郎殿

  • 戦国遺文今川氏編0775「近衛植家書状」(東海大学図書館所蔵北尾コレクション)

七月七日治部当座 聖護院門跡御座也、内々東と和与御扱之由也、然間当国へ御下向之間、彼会へ入候也、河つらと詠けるを、河つらとハ今河家ニ禁也、同嶋も禁也、殊新嶋一段不吉、七夕霞霞にもむせふはかりに七夕のあふ瀬をいそく天の河岸

  • 静岡県史資料編7_1740「為和集」(宮内庁書陵部所蔵)天文14年項目

今度為合力、越山候意趣者、去酉年義元御縁嫁之儀、信虎被申合候、然処、以後一儀駿・豆執合之由、於世間風聞、依之晴信五ヶ年之間、別而申合候、此度同心申相動候処、為始吉原之儀、御分国悉御本意、一身之満足不過之候、内々此上行等、雖可申合候、北条事御骨肉之御間、殊駿府大方思食も難斗候条、一和ニ取成候、就中長久保之城責候者、或者経数日、或者敵味方手負死人有出来者、近々之間之執合、更無所詮候哉、縦氏康雖滅亡候、過数十ヶ年、関東衆相・豆本意候者、所領之論却、只今ニ可相戻候哉、彼此以一統、可然候条、如此走廻候、自今以後、有偏執之族者、此旨各分別候間、長久之儀肝要候、恐々謹言、
十一月九日/晴信(花押)/松井山城守殿(上書:松井山城守 晴信)

  • 戦国遺文今川氏編0783「武田晴信書状写」(土佐国蠧簡集残篇六)

この状況で単身乗り込んでいった康光は、外交特使としての任務を帯びていたのだろうと考えられる。30貫文を三島で借りていることから、準備もままならぬ状況だったのかも知れない。

駿府での交渉で康光がどのような行動をしてどう結果を出したのかは不明だが、その後も古河・越後と難交渉に駆り出されたのは、この時の功績を氏政が正しく理解していたからだと思われる。