2018/06/07(木)駿河・相模の杉山氏

今川と後北条の双方に名が見える杉山氏の史料をまとめてみた。

1494(明応3)年

9月20日 駿河安部山俵峯・杉山太郎衛門

安部山内俵峯半分之事、今度山中より出忠節として所充行也、於此上尚々可抽忠功者也、仍如件、
明応三九月廿日/文頭に(朱印「印文未詳」)/杉山太郎衛門殿

  • 戦国遺文今川氏編0089「今川氏親黒印状」(杉山文書)
1550(天文19)年

4月30日 駿河阿野庄井出郷・杉山惣兵衛

駿河国阿野庄井出郷之内、相拘名職内給恩之事
右、拾弐石九斗、畠銭弐貫五百文并金山領等停止諸役、所宛行之也、然今度彼給主年来申掠之段、雖訴人有之、興国寺城番以下、此五人参百貫文役可相勤之由、遂訴訟之条、只今為新給恩永領掌不可有相違、但自余地又者他国出陣之時者、可随其員数、酉年之河東一乱以来、令在府、別奉公神妙也、弥可励忠節之状如件、
天文十九四月晦日/治部大輔(花押影)/杉山惣兵衛殿

  • 戦国遺文今川氏編0942「今川義元判物写」(国立公文書館所蔵判物証文写附二)
1552(天文21)年

4月12日 駿河安部山俵峯・杉山某(連名:望月某)

安部之内たわら峯之事
右、勤湯山之普請之条、四分一・押立諸役等令免許之、但棟別之儀者、如前々可令沙汰者也、仍如件、
天文廿一年四月十二日/文頭に(朱印「如律令」)/杉山・望月

  • 戦国遺文今川氏編1086「今川義元朱印状」(杉山文書)

10月11日 駿河安部山俵峯・杉山小太郎

駿河国阿部内俵峯相拘名職屋敷等之事
右、相定年貢諸役、如前々可勤之、以継母計別子又者親類等仁割分之儀、恣雖出置之、遺跡不相渡以前兼不相断、於不知之者不可許容之、只今号割分田畠等、各於押取之者、進退可及退転之旨、遂訴訟之条、所出判形也、仍如件、
天文廿一年十月十一日/袖に(今川義元花押)/杉山小太郎殿

  • 戦国遺文今川氏編1110「今川義元判物」(杉山文書)
1553(天文22)年

2月12日 駿河泉郷・杉山善二郎

駿河国泉郷案内者、子年令検地之上、弐百俵之増分出来、其上本増共可為定納之由、致請納之条忠節也、彼本増之外、相拘名職之内、増分拾石壱斗、并見出畠銭之増分共五貫文、永代所出置也、但惣国大風大旱魃惣虫付之年者、以奉行明鏡可改之、若於向後、代官百姓等為横合、拘置名職雖令競望、一切不許容者也、仍如件、
天文廿二年二月十二日/(今川義元花押影)/杉山善二郎

  • 戦国遺文今川氏編1128「今川義元判物写」(国立公文書館所蔵判物証文写今川二)
天文末~弘治頃

11月24日 在所欠・杉山市蔵

芳札令披見候、如来意去十三日雪、北条家茶会之事羨鋪打過処、雪降済候之間、被相招候段、別而致大慶候、宗賀■被差加、於令同伴ハ寔可有興候、明廿五日朝卯刻以参可謝候、恐々、
十一月廿四日/治部大輔(花押)/杉山市蔵殿へ

  • 戦国遺文今川氏編1526「今川義元書状」(弘文荘待買古書目二九)
1560(永禄3)年

8月8日 駿河泉郷・杉山縫殿助

駿河国泉郷為案内者、子年令検地之上、弐百俵之増分出来、其上本増共可為定納之由、致請納之条忠節也、然者彼本増之外相拘名職之内、増分拾石壱斗并見出畠銭之増分共五貫文、永代所出置也、雖然去卯年重而有訴人増分雖申出、於彼忠節之儀者、任先判形之旨、年来被出置之上者、縦於向後代官百姓等為横合、拘置名職雖令競望、是又任先判形之旨、永不可有相違者也、仍如件、
永禄参庚申年八月八日/氏真(花押影)/杉山縫殿助殿

  • 戦国遺文今川氏編1566「今川氏真判物写」(国立公文書館所蔵判物証文写今川二)
1563(永禄6)年

月日欠 在所欠・杉山小太郎(連名:望月四郎右衛門)

棟別之事
右、今度就三州急用免許之棟別、一返悉雖取之、両人事者依勤陣参、不準地下人之間、永免除畢、向後免許棟別雖相破之、両人儀者不可有相違者也、仍如件、
永禄六癸亥/文頭に(朱印「如律令」)/杉山小太郎殿・望月四郎右衛門殿

  • 戦国遺文今川氏編1908「今川氏真朱印状」(杉山文書)
1564(永禄7)年

6月5日 駿河泉郷・杉山縫殿助

駿河国泉郷為案内者、子年令検地上、弐百俵之増分出来、其上本増共可為定納之旨請納忠節也、彼本増之外、相拘名職之内増分拾石壱斗、并見出畠銭之増分共五貫文、永代所被出置、天沢寺殿判形明鏡也、然処飯尾若狭入道号新田、雖成競望、先判形等歴然之上令落着、定林院一札并百姓等証文明鏡之間、永不可有相違、重而若狭入道并百姓等聊不可令無沙汰者也、仍如件、
永禄七年六月五日/上総介(花押)/杉山縫殿助殿

  • 戦国遺文今川氏編1993「今川氏真判物写」(国立公文書館所蔵判物証文写今川二)
1567(永禄10)年

2月1日 駿河泉郷・杉山縫殿助

駿河国泉郷、去子年改之上、以弐百俵之増分、本増共為定納請納、忠節之至也、因茲十石壱斗并見出畠増分共五貫文、為忠節分所出置、任天沢寺殿御判形旨領掌訖、然者飯尾若狭入道上置七十三俵、百姓等隠置之処、訴出令蔵入之条、是又忠節之至也、縦雖企百姓其外如何様之競望、為条々忠節之上者、一切不可許容、但大風旱大虫之年者、以奉行検見之上可申付之旨、任先御判畢、以此旨、年貢以下毎年速可令沙汰者也、如件、
永禄十丁卯年二月朔日/(今川氏真花押影)/杉山縫殿助

  • 戦国遺文今川氏編2122「今川氏真判物写」(国立公文書館所蔵判物証文写今川二)

9月28日 在所欠・杉山小太郎

屋敷分之内竹木事
右、於用之時者、従奏者方可申付之条、地下次ニ見伐等一切停止候也、若押於伐取者、依言上急度可加下知、以此旨、弥可令奉公者也、仍如件、
永禄十年卯九月廿八日/文頭に(朱印「如律令」)/杉山小大郎殿

  • 戦国遺文今川氏編2147「今川氏真朱印状」(杉山文書)
1568(永禄11)年

12月18日 在所欠・杉山周防守

遠候之儀大藤・清水両人ニ任候、其外之衆一騎一人も出ニ付而者可申越候、検使可為布施佐渡守、此掟妄ニ付而者可為曲事候、恐々謹言、
十二月十八日/氏政(花押)/清水太郎左衛門殿・布施佐渡守殿・大藤式部丞殿・杉山周防守殿

  • 戦国遺文後北条氏編1123「北条氏政書状写」(小沼氏所蔵文書)
1571(元亀2)年

7月28日 相模東郡・杉山惣次郎

着到定
一、五拾九貫文
相州東郡、吉岡此着到
一本、大小旗持、具足・皮笠
一本、四方指物持、同理
二本、鑓、二間之中柄、武具同理
一騎、自身、甲大立物・具足・面防・手蓋、馬鎧金
二人、歩者、具足・皮笠、以上七人
一、小田原於御蔵可請取衆
五貫文、歩侍、甲立物・具足・手蓋
弐貫四百文、二人扶持、
一本、鑓、武庄左衛門尉、七貫四百文、二人同理、鈴木半右衛門、七貫四百文、二人同理、杉山惣次郎、七貫四百文、二人同理、大庭弥七郎
以上
廿九貫六百文
此内、廿貫文、給九貫六百文、扶持八人分、
以上、合拾五人、
上下此内一本、小小旗、四郎左衛門一本、指物、源十郎
六本、鑓、源四郎、平四郎、與五郎、三入、衛門四郎、藤二郎
一騎、馬上四人、
歩侍、清右衛門二人、
歩者、大郎五郎
以上拾五人
一、此帳に書戴候寄手、或者闕落、或ハ令死去者、五日中令披露、一跡之様子下知次第可立之候、若号失念、五日を踏出相尋時令披露者、背掟条、寄子之跡他人ニ可申付候、其時公儀へ侘言不可付候事、
一、御出馬より一日も遅罷立、一騎合有之者、則可披露候、若令用捨、御尋之上候者、背掟間、彼寄子可付他人候、公儀不可有相違事、
一、武具仕置相背者有之者、其品ゝ何時も相註可披露事、
以上
右、改而着到如此相定候、武具等致様、委細ニ書記畢、各少も無相違可致之候、抑軍法者、国家安庄所也、背法度付而者、随罪科軽重、無用捨可被出条、兼而無誤様ニ覚悟専肝候、畢竟岡本前ニ可有之間、時ゝ刻ゝ寄子ニハ合助成、掟無異義可走廻儀、可為忠信候、仍定所如件、
元亀二年辛未七月廿八日/(虎朱印)/岡本八郎左衛門尉殿

  • 小田原市史小田原北条1026「北条家着到定書写」(岡本家古文書写)

12月24日 駿河安部山俵峯・朝比奈信置(連名:横田康景)

阿部内俵峰村
一、弓鑓、近衛四郎
一、弓同、四郎衛門
一、弓同、左近四郎
一、弓同、清太郎
一、弓同、左衛門九郎
以上五人、
辛未十二月廿四日/朝駿信置・横十康景/宛所欠

  • 静岡県史資料編8_0375「朝比奈信置・横田康景連署状写」(駿河志料巻七十六杉山文書)

2018/06/06(水)会津へ急ぐ秀吉

1590(天正18)年、7月に至って北条氏直が脱走し勝敗が決したとき、羽柴秀吉は会津への進軍を本格化させる。その前から道路工事などは行なっていたが、やはり冬の到来前に決着をつけたかったのだろう。

態令啓上候、其表如何之被仰付候哉、方々御苦労令推量候、切々以書状共、御見廻可申上処、御普請彼是不得隙故、令迷惑候、随而にら山相渡申付而、昨日にら山の御人数悉此表へ被相越候、然者八王寺之御人数も、此表へ可被参之旨、被仰遣候、筑前殿、越前衆、 中納言様御陣所被遣候、 中納言様ハ御本陣へ可被成御移之旨候、景勝、にら山衆半分、家康御陣所へ被遣、家康ハ江戸へ御越之由候、 上様も十五六日比ニ其元へ 被成御座、其より会津へ可被成御動座之旨、被仰出候、次ニ小田原種々御侘言申上、命御たすけ被成候様ニと上野殿御手前へ申候付而、三松様右之通被仰上候へハ、以外 被成御腹立、三松様を御自国御はらひ被成候、けんにうをも同前ニ被仰出候、其外相替儀無御座候、猶以貴面相催儀、可得尊意候、恐惶謹言。猶切々以書状も不申入、迷惑仕候、其表之儀、無御由断可被仰事、専一候ゝゝ、又大夫さま先度之御手柄之様子、毎度被仰出候、拙子式迄満足此事候、
七月四日/可遊(花押)/宛所欠(上書:浅弾正様参人々御中 一柳右近可遊)

  • 埼玉県史料叢書12_0939「一柳可遊書状」(浅野家文書)

折り入って申し上げます。

その方面はどのようにご指示なさっているのでしょうか。色々な苦労があるかと思います。詳しく書状でお伝えするよりもそちらに回って申したいのですが、ご普請であれこれ暇がありませんので、困っています。

そして韮山が開城して、昨日韮山の部隊が全てこちらに来ました。更に八王子の部隊もここへ来させるようにとおの仰せを出しました。筑前殿、越前衆、中納言様のご陣所へ使いを出して、中納言様はご本陣へお移りになるようにとの仰せです。

景勝と韮山衆の半分は、家康のご陣所へ送られました。家康は江戸へ移動するように、とのことで、上様も15~16日頃にそこへ移ります。そこから会津へご動座なさるとのこと、仰せ出しになりました。

次に、小田原について色々と侘言を申し上げてきて、命をお助けなさいますようにと、上野殿の御前で申したことについて、三松様が右の通りに申し出ましたら、とてもお腹立ちになられ、三松様をご自国からご追放なさいました。『けんにうをも』同前に仰せ出しになられました。

そのほかは特に変わったことはありません。更には直接お会いしてお考えを得たいと思います。

さらに、詳しい書状もいただけておらず、困っています。そちら方面のこと、ご油断なさらぬようにご指示されるのが大切です。又大夫さまは先の合戦でお手柄之様子。いつもご活躍で、私にとっても、満足とはこのことです。

2018/06/02(土)鉄砲衆は諸被官から集められていたらしい

1572(元亀3)年

小山孝哲 → 岩上筑前守

夜前被罷着様体無心元候間、態以脚力相尋候、何も路次中辛労之由申遣度候、一、栗橋之手成定而其地へ可聞候、濃ニ注進尤候、一、自当真昨日付之一書今朝巳刻披見、存分候間、不被致用捨、彼一札写并返書之案文八郎殿へ可被為見申候、一、義重以川井甲斐守昨暮当城へ被届旨候、于今在滞、佐・宮半途之備遅々、口惜由遂侘言迄候、一、鉄炮衆番替明晩可指越候、つゝ引かへ候も六ヶ敷候間、其侭十丁をハ玉薬ニ厳密ニ可差置由、必々十人之者共之方へ被申調可然候、相残三ちやうハ、彦五郎方家風粟宮・小曽戸かせ者ニ候間、筒をも持可帰迄候、此番替ハ小薬之鉄鋒衆三人三丁申付候、玉薬其外厳密ニ彦左衛門・五郎右衛門ニ相渡可罷帰由、是又無失念可被申付候、一、昨於備場其方同道、両人尤之由加詞候キ、荒豊一人計可然候、其外をハしかと陣屋ニ日数之間、不致随意有之様、堅可被申候、第一大酒・火事・無政道、彼是を始、書付之透仕置専一候、謹言、
十二月六日/孝哲(花押影)/岩上筑前守殿

  • 埼玉県史料叢書12_0419「小山孝哲書状写」(松羅館集古八)

1575(天正3)年

織田信長 → 長岡藤孝

此表之様子、先書ニ申候、今日自早天取賦、数刻及一戦、■残敵討捕候、先■■下数多候間、仮名改首注文自是可進候、自兼如申候、始末無相違候、弥天下安全之基候、仍鉄炮放被申付候、■祝着候、爰許隙明候条、差上候、旁以面可申展候、謹言尚以、爰元之事、九■左衛門可申候、
■月廿一日/信長(朱印)/長岡兵部太輔殿

  • 増訂織田信長文書の研究0511「織田信長朱印状」(肥後・細川家記二細川家文書二)

1577(天正5)年

後北条氏 → 北条氏繁

新田へ鉄砲衆合力候、五挺可然放者可被申付候、明後可遣候、島津左衛門自馬廻遣候間、従者可同心旨可被申付候、掟従是委以書出可申付候、万端遣念可被申付候、仍如件、
五月十九日/(虎朱印)/常陸守殿戦国遺文後北条氏編1911「北条家朱印状写」(小田原編年録附録四)

1585(天正13)年

後北条氏 → 神宮武兵衛

鉄炮衆一、六挺、両後閑衆
一、三挺、木部宮内衆
一、弐挺、和田左衛門衆
一、壱挺、同兵部衆
一、壱挺、高山彦四郎衆
一、七挺、倉ヶ野淡路衆
一、拾挺、神宮衆
以上卅挺
右之鉄炮衆大戸へ為加勢指越候間、此飛脚来十四日可参着候間、翌日一日支度而、何れも召連、一同相移、房州如作意可走廻、仍如件、
九月十日/(虎朱印)/神宮武兵衛殿

  • 戦国遺文後北条氏編2856「北条家朱印状写」(後閑文書)

1586(天正14)年

北条氏直 → 簗田晴助

壬生へ万一敵至于相動者、加勢之儀壬生所望候、然者奥州注進次第何時も其人衆払而小山へ被相移、自彼地弓・鉄炮足軽を壬生へ加勢候様可有下知、委細奥州可為演説候、恐々謹言、
卯月十一日/氏直(花押影)/簗田中務太輔殿

  • 埼玉県史料叢書12_0779「北条氏直書状写」(温故知新集)
後北条氏 → 北条氏照

壬生へ加勢衆廿挺、鉄炮卅人、弓鑓、合五十人水海衆
右、佐竹向壬生・鹿沼、動火急ニ相催由、注進候、依之手先之衆先加勢遣候条、記右人数、能物主指添、自小山大石信濃寺注進次第、不移時日、小山へ被相移、小山衆同断ニ壬生へ移、走廻候様、可被申付旨、水海衆へ可被御届候、猶依注進、自分可令出馬間、無油断可有支度旨、能ゝ可有演説候、仍如件、
七月十八日/(虎朱印)/陸奥守殿

  • 戦国遺文後北条氏編2972「北条家朱印状写」(楓軒文書纂六十)

年未詳

北条氏照 → 大石四郎右衛門尉・大石左近丞

加勢衆鉄炮
一丁、石原主膳
二丁、島村
二丁、由木
一丁、車丹波衆
一丁、大石四郎右衛門衆
一丁、同左近衆
二丁、大藤手組之内
以上十丁
一、右衛門佐殿御手前、敵之取寄近来候、今夜為加勢遣候、申端可被仰所、加治左衛門ニ指添可遣事
一、玉薬二百放可指添候、■■可渡事、加治■■一、加治左衛門為物主指越候、彼者如申可走候、少も油断不可致、虎口可走事
右之条ゝ、猶仰所、直ニ可被申付候、以上、
廿日/氏照(花押)/大石四郎右衛門尉殿・大石左近丞殿

  • 戦国遺文後北条氏編3921「北条氏照書状」(秋山断氏所蔵文書)

2018/05/28(月)今川家の戦時禁制

今川家における戦時禁制の発行形態

非条書から条書という流れであるのは、氏親が1通のみ条書であるのに対して、孫の氏真が全て条書であることから推測できる。但し、間にいる義元の条書・非条書は切り替えタイミングが見えない。

今川家の戦時禁制は織田信長・羽柴秀吉と比較すると僅かしか残されていない。このため、確度はかなり低い。

今川氏親

発給年 文書番号 種別 宛所 禁止条目
1504(永正元)年 0157 非条書 鶴岡八幡
1506(永正3)年 0179 非条書 本興寺
1506(永正3)年 0186 非条書 明眼寺
1509(永正6)年 0226 非条書 宛所欠
1511(永正8)年 0241 条書 大洞院 資源奪取・侵入
1517(永正14)年 0297 非条書 鴨江寺

今川義元

発給年 文書番号 種別 宛所 禁止条目
1536(天文5)年 0547 条書 慶寿寺 乱暴狼藉・寺領押領・資源奪取
1543(天文12)年 0727 条書 東観音寺 乱暴狼藉・資源奪取・侵入
1545(天文14)年 0776 条書 多聞坊 乱暴狼藉・刈田・無断野菜奪取
1545(天文14)年 0779 非条書 妙覚寺・大善坊
1546(天文15)年 0801 非条書 長興寺・龍門院・伝法寺
1549(天文18)年 0893 条書 長興寺宛て 資源奪取・寄宿・侵入
1550(天文19)年 0944 非条書 篠原永源寺
1550(天文19)年 0961 条書 大沢山龍渓院 乱暴狼藉・資源奪取・侵入
1550(天文19)年 0963 非条書 白坂雲高寺
1550(天文19)年 0972 条書 大樹寺 陣取・資源奪取・殺生・不法課役・私徳政
1555(弘治元)年 1237 非条書 無量寿寺
1555(弘治元)年 1238 非条書 宛所欠
1557(弘治3)年 1335 条書 永源寺 乱暴狼藉・資源奪取・不条理命令・年貢催促・俗縁持込

今川氏真

発給年 文書番号 種別 宛所 禁止条目
1562(永禄5)年 1794 条書 菟足神社 乱暴狼藉・陣取・資源奪取
1562(永禄5)年 1867 条書 八幡神主 陣取と要害構築・乱暴狼藉・資源奪取
1564(永禄7)年 1963 条書 野辺郷山王神主 侵入と狼藉・資源奪取・耕作妨害
1564(永禄7)年 1964 条書 二俣領八幡神主 侵入と狼藉・資源奪取・耕作妨害
1565(永禄8)年 2051 条書 総真寺 乱暴狼藉・資源奪取・不法課役

2018/05/28(月)羽柴秀吉の戦時禁制

概要

『豊臣秀吉文書集』から、天正17年12月から翌年8月までの期間に、羽柴秀吉が発給した禁制を抜き出した。

その際に、種別を3つに分類してみた。

A型

発給数・範囲・期間が最も大きな標準型といえる。12月から8月まで、204件が残されている。下記が典型例で、「禁制」の下の所付と、太字になっている部分だけが異なるのみで他は全く同じ文言・表記となる。「対地下人百姓」が圧倒的に多いが、寺社向けには主に「寺家門前之輩」などが用いられる。また「土民」という表記もわずかにみられる。

文書例

禁制 『所付欠』一、軍勢甲乙人等乱妨狼藉事
一、放火事
一、対地下人百姓非分之儀申懸事
右条々若於違反之輩者、忽可被処罪科者也、
天正十七年十二月日/(羽柴秀吉朱印影)

  • 豊臣秀吉文書集2893「羽柴秀吉禁制写」(相州文書・東大史影写)早川村海蔵寺文書
一覧
発行月 文書番号 宛所 宛所種別 異同文言 備考
12月 2878 駿河国厚原 郷村
12月 2879 伊豆国大宮 郷村
12月 2880 信濃国 国名
12月 2881 信濃国 国名
12月 2882 駿河国御厨 郷村
12月 2883 遠江国 国名
12月 2884 遠江国 国名
12月 2885 遠江国 国名
12月 2886 遠江国 国名
12月 2887 遠江国 国名
12月 2888 遠江国 国名
12月 2889 三河国 国名
12月 2890 所付欠(海長寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
12月 2891 所付欠(駿河草薙神社旧蔵) 寺社 寺社だが郷村向け
12月 2892 所付欠(駿河志料) 未詳
12月 2893 所付欠(相州文書海蔵寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
12月 2894 所付欠(愛知県史平松眞氏所蔵文書) 未詳
12月 2895 所付欠(村松文書) 未詳
12月 2896 所付欠(森文書) 未詳
01月 2920 尾張国岩倉 郷村
01月 2921 尾張国西御堂三郷 郷村
01月 2922 駿河国御厨屋内茱萸沢 郷村
01月 2923 駿河国建穂寺 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2924 三河国山中法蔵寺 寺社 寺僧
01月 2925 遠江国 国名
01月 2926 遠江国二諦坊 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2927 所付欠(県文書) 未詳
01月 2928 所付欠(医王寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2929 所付欠(井口文書) 未詳
01月 2930 所付欠(蒲神社文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2931 所付欠(河合文書) 未詳
01月 2932 所付欠(鷺森別院文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2933 所付欠(三光寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2934 所付欠(静岡浅間神社文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2935 所付欠(駿河志太郡高根神社宛比定) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2936 所付欠(頭陀寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2937 所付欠(大円寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2938 所付欠(大善寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2939 所付欠(大悲願寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2940 所付欠(静岡県史料桃源院文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2941 所付欠(愛知県史鳥居家文書) 未詳
01月 2942 所付欠(成岡文書) 未詳
01月 2943 所付欠(蜂前神社文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2944 所付欠(浜松市博物館) 未詳
01月 2945 所付欠(原川文書) 未詳
01月 2946 所付欠(判物証文写) 未詳
01月 2947 所付欠(彦根藩井伊家文書) 未詳
01月 2948 所付欠(ひらつかの家康伝説) 未詳
01月 2949 所付欠(聞名寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
01月 2950 所付欠(龍潭寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3048 伊豆国西勝院 寺社 寺家門前之輩
04月 3049 伊豆国城府院 寺社 寺家門前之輩
04月 3050 伊豆国新島 郷村
04月 3051 上野国大胡領 郷村
04月 3052 相模国円覚寺 寺社 寺家門前
04月 3053 相模国建長寺 寺社 寺家門前
04月 3054 相模国光明寺 寺社 寺僧門前之輩
04月 3055 相模国鶴岡八幡宮 寺社 社家坊中
04月 3056 相模国二階堂郷中覚園寺他 寺社 寺家門前之輩
04月 3057 相模国宝戒寺 寺社 寺家門前之輩
04月 3058 相模国長谷寺 寺社 寺家門前
04月 3059 相模国東慶寺 寺社 寺家門前
04月 3060 上野国長楽寺他 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3061 相模国愛甲郡熊坂村 郷村
04月 3063 相模国不入斗郷西来寺 寺社 寺家門前之輩
04月 3064 相模国江ノ島 寺社 寺家門前之輩
04月 3065 相模国大中郡厚木 郷村
04月 3066 相模国大中郡荻野村 郷村
04月 3067 相模国大中郡恩名・及河 郷村
04月 3068 相模国大中郡讃多村 郷村
04月 3069 相模国大中郡田村之郷 郷村
04月 3070 相模国大中郡豊田三郷 郷村
04月 3071 相模国大中郡煤ヶ谷小屋入之郷 郷村 土民百姓等
04月 3072 相模国大中郡森の庄 郷村
04月 3073 相模国大平台 郷村
04月 3074 相模国狩野庄最乗寺 寺社 寺家門前族
04月 3075 相模国鎌倉感応院 寺社 寺僧門前之輩
04月 3076 相模国鎌倉長勝寺 寺社 寺家門前
04月 3077 相模国鎌倉補陀洛寺 寺社 寺家門前之族
04月 3078 相模国鎌倉内明月院 寺社 寺家門前輩
04月 3079 相模国鎌倉中 郷村 地下人町人
04月 3080 相模国小机庄 郷村
04月 3081 相模国小中郡今泉之郷他 郷村
04月 3082 相模国底倉 郷村
04月 3083 相模国玉縄内村岡郷 郷村
04月 3084 相模国茅ヶ崎郷・両浜 郷村
04月 3085 相模国堤村 郷村
04月 3086 相模国土肥郷法善院 寺社 寺僧門前之輩
04月 3087 相模国西郡金子郷 郷村
04月 3088 相模国西郡栢山村善栄寺 寺社 寺僧門前之輩
04月 3089 相模国西郡国府津 郷村
04月 3090 相模国西郡曽我他 郷村
04月 3091 相模国東郡今田・亀井野 郷村 寺家門前之輩 郷村だが寺社向け
04月 3092 相模国東郡梅沢 郷村
04月 3093 相模国東郡恩馬郷 郷村
04月 3094 相模国東郡小薗郷 郷村
04月 3095 相模国東郡青蓮寺 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3096 相模国東郡大長寺 寺社 寺僧門前
04月 3097 相模国東郡国分村国分尼寺 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3098 相模国東郡八幡 郷村
04月 3099 相模国東郡比企谷妙本寺 寺社 寺家門前
04月 3100 相模国東郡本覚寺 寺社 寺家門前
04月 3101 相模国東郡本蓮寺 寺社 寺家門前
04月 3102 相模国三浦郡芦名郷浄楽寺 寺社 寺家門前
04月 3103 相模国三浦郡内浦之郷龍真寺 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3105 相模国三浦大妙寺 寺社 寺家門前
04月 3107 相模国高座郡渋谷庄他 郷村
04月 3108 下野国大中寺 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3109 下総国庄内十六郷 郷村
04月 3110 武蔵国大滝 郷村
04月 3111 武蔵国椚田郷高乗寺 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3112 武蔵国城立寺 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3113 武蔵国東国寺 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3114 武蔵国鉢形 郷村
04月 3115 武蔵国山口他 郷村 寺家門前之輩 郷村だが寺社向け
04月 3116 武蔵国稲毛郡作延郷 郷村
04月 3117 武蔵国稲毛郷河崎六ヶ村 郷村
04月 3118 武蔵国江戸報恩寺 寺社 寺家門前之輩
04月 3119 武蔵国荏原郡世田谷郷 郷村
04月 3120 武蔵国荏原郡江戸の内牛込 郷村
04月 3121 武蔵国遠藤郷法泉寺 寺社 寺僧門前之輩 相模国の誤記
04月 3122 武蔵国荏原郡忍の内龍淵寺・熊谷 郷村
04月 3123 武蔵国金沢称名寺 寺社 寺家門前之輩
04月 3124 武蔵国久良岐郡十二郷 郷村
04月 3125 武蔵国久良岐郡日野村 郷村
04月 3126 武蔵国久良岐郡宝生寺 寺社 寺家門前
04月 3127 武蔵国久良岐郡内長田郷 郷村 土民百姓等
04月 3128 武蔵国久良岐郡内本牧 郷村 土民百姓等
04月 3129 武蔵国小机之内千ヶ崎郷総泰院観音堂 寺社 寺僧門前之族
04月 3130 武蔵国昌龍寺 寺社 寺社だが郷村向け
04月 3131 武蔵国白金郷阿佐布善福寺 寺社 寺僧門前之輩
04月 3132 武蔵国関戸郷 郷村
04月 3133 武蔵国橘樹郡小田村 郷村
04月 3134 武蔵国多東郡中野郷 郷村
04月 3135 武蔵国多東郡補陀郷 郷村
04月 3136 武蔵国都築郡小机之内庄内 郷村
04月 3137 武蔵国都筑郡内麻生郷王禅寺村 郷村
04月 3138 武蔵国豊島郡江戸吉祥寺 寺社 寺家門前之輩
04月 3139 武蔵国豊島郡江戸増上寺 寺社 寺家門前之輩
04月 3140 武蔵国豊島郡浅草十二坊 寺社 寺僧門前之輩 写し文書で、東照宮御朱印とあり
04月 3141 武蔵国二俣川郷 郷村
04月 3142 武蔵国師岡保内十二ヶ郷 郷村
04月 3143 所付欠(韮山真珠院文書) 寺社 門前百姓
04月 3144 所付欠(新編武州古文書法華寺所蔵) 寺社 寺僧門前之輩
04月 3145 所付欠(静岡県史原文書) 未詳 写し文書で、石田治部承之とあり
04月 3146 所付欠(武州文書) 未詳 土民百姓等
04月 3147 所付欠(武州文書) 未詳 土民百姓等
05月 3235 上総国市原庄八幡郷他 郷村
05月 3236 相模国大中郡落合郷長徳寺 寺社 寺家門前之族
05月 3237 相模国西郡内国府津郷真楽寺 寺社 寺家門前
05月 3238 相模国東郡当麻郷 郷村
05月 3239 相模国三浦郡野比郷最宝寺 寺社 寺家門前之族
05月 3240 下野国常陸国田野他 郷村
05月 3241 常陸国鹿島宮 寺社 社内門前之輩
05月 3242 常陸国知足院 寺社 寺家門前族
05月 3243 武蔵国河越蓮馨寺他 寺社 寺社だが郷村向け
05月 3244 武蔵国大田之庄久喜郷甘棠院 寺社 寺社だが郷村向け
05月 3245 武蔵国忍之内清水正伝院 寺社 寺家門前之輩
05月 3246 武蔵国多西郡高幡村・河辺村 郷村
05月 3247 武蔵国多西郡内落川村 郷村
05月 3248 武蔵国多西郡内三沢村 郷村
05月 3249 武蔵国多西郡内由木之郷 郷村
05月 3250 武蔵国奈良集福寺 寺社 寺家門前之輩
05月 3251 武蔵国山田庄河越卅三郷内豊田郷他 郷村
05月 3252 所付欠(結城市史越前山川文書) 未詳
05月 3253 所付欠(内閣文庫諸国文書) 未詳
06月 3281 上総国一宮観明寺 寺社 当寺中并門前之百姓等
06月 3282 上総国長南三途台長福寺 寺社 当寺中并門前之百姓等
07月 3334 武蔵国足立郡内浦和宿 郷村
07月 3335 安房国清澄寺 寺社 当寺中并門前之百姓等
07月 3336 常陸国石塚 郷村
07月 3337 陸奥国佐竹知行滑津他 郷村
07月 3338 陸奥国矢田安房守領内 郷村
07月 3339 上総国光福寺 寺社 当寺中并門前之百姓等
07月 3340 上総国神野寺 寺社 当寺中并門前之百姓等
07月 3341 上総国高谷円明寺 寺社 当寺中并門前之百姓等
07月 3342 下野国高田専修寺 寺社 寺社だが郷村向け
07月 3343 武蔵国多東郡足立庄内鳩井村 郷村
07月 3344 出羽国荘内田川郡 郷村
07月 3345 常陸国金砂西山 郷村
07月 3346 常陸国千妙寺 寺社 当寺中并門前之百姓等
07月 3347 三河国大山山龍渓院 寺社 寺僧門前輩
07月 3348 陸奥国岩城知行分某 郷村
07月 3349 所付欠(秋田藩家蔵文書) 未詳
07月 3350 所付欠(大阪城天守閣) 未詳
07月 3351 所付欠(兵庫県史大芋文書) 未詳
07月 3352 所付欠(常総遺文) 未詳
07月 3353 所付欠(千光寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
07月 3354 所付欠(相馬文書) 未詳
07月 3355 所付欠(南部家文書) 未詳
07月 3356 所付欠(福田文書) 未詳
07月 3357 所付欠(万福寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
07月 3358 所付欠(来迎寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
07月 3359 所付欠(来迎寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
07月 3360 所付欠(来迎寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
07月 3361 所付欠(来迎寺文書) 寺社 寺社だが郷村向け
08月 3416 尾張国津島天王境内 寺社 神主五ヶ村之族
08月 3417 出羽国仙北九郎知行分 郷村
08月 3418 所付欠(安土城考古博物館) 未詳
08月 3419 所付欠(尾崎文書) 未詳
08月 3420 所付欠(栃木県立文書館坂入浩一家文書) 未詳
08月 3421 所付欠(思文閣古文書資料目録) 未詳
08月 3422 所付欠(編年文書) 未詳
08月 3423 所付欠(安井家文書) 未詳

B型

厳密にいうと禁制ではなく定書。12月・1月・8月で合計19件。文言の異動は細かい表記で見られるが、文意や名詞が大きく異なることはない。

文書例

定 駿河内ふから一、軍勢味方の地にをいて乱妨狼藉の輩、一銭きりたるへき事
一、陣取にをいて火を出す族あらは、からめとり出すへし、自然逐電せしめハ、其主人罪科たるへき事
一、ぬか・わら・薪・さうし以下亭主に相ことハり可取之事
右条々若令違犯者、忽可被処厳科旨被仰出候也、
天正十七年十二月日/(羽柴秀吉朱印影)

  • 豊臣秀吉文書集2897「羽柴秀吉定書」(判物証文写・東大史影写)
一覧
発行月 文書番号 宛所 宛所種別
12月 2897 駿河国深良 郷村
12月 2898 駿河国御厨屋内竹下 郷村
12月 2899 遠江国 国名
12月 2900 所付欠(池田村共有文書・静岡県史料) 未詳
12月 2901 所付欠(因幡志) 個人名ヵ
12月 2902 所付欠(中村文書) 個人名ヵ
12月 2903 所付欠(溝口文書) 個人名ヵ
12月 2904 所付欠(歴代古案) 個人名ヵ
01月 2951 所付欠(吉川家什書) 個人名ヵ
01月 2952 所付欠(思文閣古書資料目録) 個人名ヵ
01月 2953 所付欠(反町文書) 個人名ヵ
01月 2954 所付欠(尊経閣古文書) 個人名ヵ
01月 2955 所付欠(多賀文書) 個人名ヵ
01月 2956 所付欠(中川家文書・神戸大学文学部) 個人名ヵ
01月 2957 所付欠(播州小野藩一柳家史料) 未詳
07月 3362 浅野弾正少弼 個人名
08月 3424 石田治部少輔 個人名
08月 3425 羽柴越後宰相 個人名
08月 3426 所付欠(宇都宮家蔵文書) 個人名ヵ

C型

4月から登場し、47件残存している。百姓に還住を命じ、耕作を再開させようとしている。5月に3件、6月・7月にそれぞれ1件ずつがあるほかは、4月に集中している。文言はかなりの異動があり、状況に応じて書き分けているように見える。

文書例

禁制 相模国飯泉山坊中
一、衆徒地下人等急渡令還住事
一、軍勢甲乙人立帰之寺院・百姓家不可陣取事
一、対衆地下人非分之義申懸族有之者、可申出、并竹木麦毛不可可刈取事
右若違犯之輩者、速ニ可被処厳科者也、
天正十八年四月日/御在判

  • 豊臣秀吉文書集3062「羽柴秀吉禁制写」(勝福寺文書)
一覧
発行月 文書番号 宛所 宛所種別
04月 3062 相模国飯泉山坊 寺社
04月 3148 伊豆国岩科郷 郷村
04月 3149 伊豆国宇佐美 郷村
04月 3150 伊豆国大竹村他 郷村
04月 3151 伊豆国小坂郷 郷村
04月 3152 伊豆国重須郷 郷村
04月 3153 伊豆国狩野内田代郷 郷村
04月 3154 伊豆国川奈郷他 郷村
04月 3155 伊豆国久料 郷村
04月 3156 伊豆国古宇 郷村
04月 3157 伊豆国白田村 郷村
04月 3158 伊豆国田中郷内大仁村 郷村
04月 3159 伊豆国田中郷内狩野牧村 郷村
04月 3160 伊豆国田中郷内修禅寺 寺社
04月 3161 伊豆国田中郷内長岡村 郷村
04月 3162 伊豆国田中郷内三福村 郷村
04月 3163 伊豆国田中郷倭文村 郷村
04月 3164 伊豆国長浜村 郷村
04月 3165 伊豆国西浦庄内三津郷他 郷村
04月 3166 伊豆国箱根寺家門前 寺社
04月 3167 伊豆国肥田郷他 郷村
04月 3168 伊豆国牧之郷 郷村
04月 3169 伊豆国松笠郷 郷村
04月 3170 伊豆国三島護摩堂 寺社
04月 3171 伊豆国三島大明神 寺社
04月 3172 伊豆国某 郷村
04月 3173 相模国神山村他 郷村
04月 3174 相模国大山坊中 寺社
04月 3175 相模国金子村 郷村
04月 3176 相模国河村郷 郷村
04月 3177 相模国国府の郷 郷村
04月 3178 相模国星谷寺・座間七ヶ村 郷村
04月 3179 相模国西郡赤田他 郷村
04月 3180 相模国西郡栢山郷 郷村
04月 3181 相模国西郡酒匂郷 郷村
04月 3182 相模国西郡飯田郷 郷村
04月 3183 相模国狩野庄 郷村
04月 3184 相模国西郡延沢金井島 郷村
04月 3185 相模国西郡松田郷 郷村
04月 3186 相模国東郡懐島三ヶ村 郷村
04月 3187 相模国日向小屋・七沢小屋・煤ヶ谷小屋 郷村
04月 3188 所付欠(武家事紀) 未詳
05月 3254 下総国万満寺 寺社
05月 3255 武蔵国足立慈眼寺 寺社
05月 3256 所付欠(集古文書) 未詳
06月 3283 下総国東昌寺 寺社
07月 3363 上総国真里谷真如寺 寺社

その他

例外的に1文書だけ、条書ではない定書が存在する。

文書

定 駿河一花堂
軍勢甲乙人等陣取事、堅被停止之訖、若違犯之輩於有之者、可被処罪科者也、
天正十八年二月十五日/(羽柴秀吉朱印影)

  • 豊臣秀吉文書集2964「羽柴秀吉定写」(長善寺文書)
OK キャンセル 確認 その他