2017/12/02(土)逼塞の用例(毛利元就)

元就が用いた「ひつそく」

『日本国語大辞典』に用例として毛利元就の用いた「逼塞」がある。但し、同辞書の初版では「謹慎すること」、第2版では「内心推量すること」と変わっている。

これには充分な解釈論拠があるのだろうか。実は、小和田哲男氏の著作では「逼塞」を「内に秘める」と解釈している。

恐らく小和田氏は「逼塞」という語の近世的意味から「秘める」というニュアンスを籠めたのかも知れない。

『戦国武将の手紙を読む』(小和田哲男・中公新書)

翻刻

一此間も如申候元春隆景ちかひの事候
共隆元ひとへニゝ以親気毎度
かんにんあるへく候ゝ又隆元
ちかひの事候共両人之御事者御した
かい候ハて不可叶順儀候ゝ
両人之事ハ爰元ニ御入候者まことに
福原桂なとうへしたニて何と成とも
隆元下知ニ御したかひ候ハて叶間しく
 候
間唯今如此候とてもたゝゝ内心ニハ
此御ひつそくたるへく候ゝ

現代語解釈

一 この間も申しあげましたが、元春・隆景が隆元と意見が違うことがあった場合、隆元が堪忍することも大事ですが、元春・隆景も兄の意見に従うようにして下さい。両人が従えば、福原や桂といった重臣たちまで隆元の下知に従うことになるでしょう。意見が違うことがあっても、できるだけ表には出さず、内に秘めるようにして下さい。

後北条氏の例との比較

この元就の例は、私が調べた東国の用例とは別個の語義として存在するのだろうか。試みに当てはめてみようと思う。

前の投稿で挙げた「逼塞」の語義案のうち、1の「心が近く通い合っている状況」が元就のものと合致するように思う。

この元就書状の他の文言を見ても、元就が息子たちに伝えたかったのは兄弟が結束することの重要性なのは明らかである。弟2人が兄に従えば被官たちに示しもつくぞと利点を挙げている。ここに繋げる言葉として、2つを比べてみる。

  • 小和田氏案:内心対立があっても隠せ
  • 日国案:内心推量せよ
  • 高村案:内心では心を一つにせよ

ここで解釈を、なるべくニュートラルでやり直してみる。

一、この間も申したように、元春・隆景が違う意見を持っていても、隆元はひたすら親心で毎度許すように。また、隆元が違う意見が持っていても、両人がお言葉にお従いしなくては、順の儀は適いません。両人が、こちらに入っていれば、本当に福原・桂などが上下関係でどうなったとしても、隆元下知にお従いしなければ適わなくなるのですから、現在こうなっているのだとしても、ただただ、内心はこの『ご逼塞』でありますように。

「ただただ」という表現からは、やはり「心を近しく一つにする」が最も妥当だと考えられる。推量や隠蔽をわざわざ指示する意図が把握できない。

この文書の他の条項を見ても三人の「心持ち」が重要だと何度も念を押している。また、「三人之半少ニてもかけこへたても候ハゝ、たゝゝ三人御滅亡と可被思召候ゝ」→「3人の仲が少しでも懸子・隔意となったなら、ただただ3人はご滅亡すると思っておいて下さい」とも書いている。

ここから見ても、やはり逼塞は心を一つにする用法でよいのではないかと思う。