2017/10/05(木)永禄六年諸役人附と、信長上洛時の在京衆

  • 戦国遺文今川氏編1921「永禄六年諸役人附」(群書類従第五一一巻)

光源院殿御代当参衆并足軽以下衆覚書
永禄六年五月日
(中略)外様衆、大名在国衆、号国人
摂津守中原晴門朝臣、細川六郎
畠山左衛門秋政、山名次郎義祐、改名左京大夫
一色左近大夫、赤松次郎
御相伴、武田孫八元次、若狭国
同、佐々木左衛門大夫入道承禎、御使
同佐々木、同、同右衛門尉義弼、同、朝倉左衛門督義景
同、大友左衛門督入道宗麟、大友、同五郎義宗
御相伴、北条相模守氏康、北条左京大夫氏政
御相伴、今川上総介氏実、駿河
上杉弾正少弼輝虎、越後長尾之事也
武田大膳大夫入道晴信、法名徳栄軒信玄、甲斐国
畠山修理大夫、能登国之守護、義継
一色治部大輔、改義紀、美濃国、斎藤山城守龍興歟
北畠中納言、伊勢国司、同少将、伊勢国司
長野若狭守、伊勢、姉小路中納言、飛騨国司
同宰相、姉小路、織田尾張守信長、任弾正忠、尾張国
仁木左京大夫長政、丹波、島津陸奥守貴久
同修理大夫義久、相伴、伊東三位入道義祐、日向国
同左京大夫義益、相良修理大夫義頼
毛利陸奥守元就、安芸国、同少輔太郎輝元
小早川左衛門佐隆景、吉川駿河守
尼子三郎四郎義久、出雲国、松浦肥前守隆信、肥前国
河野左京大夫通宣、伊予国
種子島左近大夫入道、大隈国
有馬修理大夫義真、肥前国、同太郎義純
宇都宮遠江守、伊予国、島津薩摩守義俊
三吉安房守隆亮、肥後国、宗刑部大輔、対馬国
御相伴、三好左京大夫義継、伊達次郎晴宗、任左京大夫、奥州
蘆名修理大夫盛重、奥州会津
北条助五郎氏規、氏康次男、松平蔵人元康、三河
水野下野守、三河、佐脇上野介、尾張衆
仁木右兵衛督義広、伊勢丹波仁木殿御奉公
関東衆
古河足利左馬頭義氏、簗田中務大輔、武州
里見安房守、安房、千葉介胤富、下総
庁南上総介、上総
佐竹修理大夫義昭、常陸
小田讃岐守、常陸、宇都宮弥三郎、下野
佐野小太郎、下野、横瀬信濃守、由良
長尾但馬守、上野、太田美濃守資正、武州
常陸大據清就、常陸府中、市田太郎、上州
上杉正栄、上州、葛西、奥州
氏家修理亮、奥州大崎、南部大膳亮、奥州
九戸五郎、奥州二階堂、最上出羽守、奥州
相馬次郎、奥州、岩城掃部助、奥州
長沼淡路守、下野、結城左衛門尉、下総
成田下総守長泰、武蔵
右永禄六年諸役人附以伊勢貞春本校合了、

  • 増訂織田信長文書の研究00210「織田信長書状写」(二条宴乗日記・元亀元年二月十五日条)

(上略)就信長上洛可有在京衆中事
北畠大納言殿、同北伊勢諸侍中・徳川三河守、同三河遠江諸侍衆・姉小路中納言殿、同飛騨国衆・山名殿父子、同分国衆・畠山殿、同■■衆・遊佐河内守・三好左京大夫殿・松山山城守、同和州諸侍衆・同右衛門佐・松浦総五郎・同和泉国衆・別所■三郎・同播磨国衆・同孫左衛門尉、同同名衆・丹波国衆・一色左京大夫殿・同丹後国衆・武田孫犬丸・同若狭国衆・京極殿、同浅井備前・同尼子・同佐々木・同木村源五父子・同江州南諸侍衆・紀伊国衆・越中神保名代・能州名代・甲州名代・濃州名代・因州武田名代・備前衆名代・池田・伊丹・塩河・有右馬、此外其寄々之衆として可申触事
同触状案文
禁中御修理、武家御用、其外為天下弥静謐、来中旬可参洛候条、各有上洛、御礼被申上、馳走肝要候、不可有御延引候、恐々謹言
■月廿■日
信長
依人躰文躰可有上下、