2020/10/24(土)官途名からの逆引き人名辞典
『戦国遺文後北条氏編』と『戦国遺文今川氏編』の人名索引から、官途名・受領名を名乗った人名を列挙。
「弾正左衛門」や「越州守」といった東百官に関しては、正規の官途が先頭に来ているものは列挙している。
戦国遺文後北条氏編
官途名
- 右衛門
- 石巻
- 右衛門尉
- 斎藤、大平、朝比奈綱尭、渡辺、島津忠貞、板部岡康雄、堀内
- 右衛門佐
- 伊勢、一色氏久、酒井、太田、北条氏光、本間、茂呂
- 右衛門大夫
- 遠山直景・政景、松田康長
- 右京
- 小暮戸
- 右京進
- 朝倉政元
- 右京大夫
- 吉良頼高
- 右京亮
- 原島、黒沢、寺田、小林、植松、清水吉広・吉政、南、南条、野田
- 右近
- 安藤、大村、秩父、二宮、北条
- 右近助
- 市河
- 右近将監
- 後藤
- 右近丞
- 興津、手島、垂水、杉田、長田
- 右近大夫
- 小笠原
- 雅楽助
- 井上、横山、山口、四方田、諸田、新木、大芦、大串、町田、萩原、保津見、鈴木、生駒、青山、青木信重
- 采女
- 吉田、諸田、大村
- 采女正
- 奥
- 采女佑
- 師岡
- 右兵衛尉
- 千野
- 右馬尉
- 恒岡
- 右馬允
- 伊東、関、斎藤行定、三谷、簗田
- 右馬介
- 猪俣
- 右馬助
- 逸見、関根、栗原、桑原、後藤、幸田、高萩、黒沢、山口、青木安重、大須賀、大津、中村、朝倉、湯浅、二見、富永、野田、矢野、柳下、林、鈴木、和知、簗田
- 右馬丞
- 鈴木
- 右馬頭
- 毛利輝元
- 右馬亮
- 発智
- 大炊助
- 金差、原親幹、高井、高麗、山中頼元、若林、勝田、小高、大島、中居、中山、猪、田村、洞毛、淵名、木住野、矢部
- 大炊頭
- 真里谷義信
- 大蔵
- 北爪
- 大蔵少輔
- 金子
- 大蔵丞
- 原邦長、幸田定治、山井、森、中島、木住野、垪和、簗
- 織部
- 関根、新木、南条、畑、北爪
- 織部助
- 井上、松井
- 織部丞
- 佐藤、菅谷、長井、椎名、二宮、目黒
- 織部正
- 二宮
- 勘解由
- 押田、高麗、黒田孝高、小室、新井、立石、鈴木
- 勘解由左衛門
- 加治吉範、橋本、石巻、大野(石巻)、中山
- 勘解由左衛門尉
- 原、上原、須藤
- 主計
- 石塚、大橋
- 主計助
- 苅部、岩本、持田、須藤、石原、中村、北爪
- 掃部
- 岩井
- 掃部助
- 横須賀成高、会田、宮寺、金子、小田、上田、石河、和田昭為
- 掃部丞
- 登坂
- 刑部
- 河村
- 刑部左衛門
- 山下、小林
- 刑部左衛門尉
- 細谷資満、三谷、山角定勝、白川
- 刑部助
- 佐々木
- 刑部少輔
- 鵜沢、久々宇、原胤之、後閑、江戸頼忠、布施景尊、北条綱房
- 刑部丞
- 斎藤、椎名、野口照房、垪和
- 刑部大輔
- 大村、井田、狩野、蕪木
- 宮内
- 吉田、荒田、神保
- 宮内右衛門尉
- 天野、栗原
- 宮内助
- 木部
- 宮内少輔
- 下条、牛込、後閑、山室、勝、埴谷、藁科
- 宮内丞
- 中村
- 宮内大輔
- 祢津昌綱
- 内蔵佐
- 保津見
- 内蔵助
- 稲村、橋本、斎藤、小倉勝久、清田、石田、増戸、土屋
- 蔵人
- 押田、周防、小笠原、富岡
- 蔵人佐
- 逸見、三谷胤重、上田長則、大道寺、渡辺
- 蔵人守
- 吉田
- 蔵人丞
- 金子
- 蔵人佑
- 伊達、佐藤
- 外記
- 円城寺、河田、橋本、舟田、小柳津、曽祢、鏑木、田口
- 外記助
- 関口
- 外記亮
- 川村
- 玄蕃
- 大屋、田中
- 玄蕃尉
- 岡田
- 玄蕃允
- 月岡広秀、多留、林田胤敏
- 玄蕃助
- 吉原、久米、南条
- 玄蕃頭
- 岩田、真木島昭光
- 監物
- 宇野、御宿友綱、川面、大和、中山、渡辺、尾崎
- 監物允
- 小鷲直吉
- 監物丞
- 横地吉信
- 左衛門
- 太田景資、島津、平内
- 左衛門尉
- 遠山康英・康光、柿崎、近藤、原、高田、狩野、酒井忠次・政辰、成田泰喬、長尾輝景・憲景、天野、渡辺、由木景盛、和田昌繁
- 左衛門五郎
- 菅谷
- 左衛門佐
- 佐野氏忠、小笠原、大館晴光、豊前、北条氏尭・氏忠
- 左衛門丞
- 毛呂
- 左衛門太郎
- 坂戸胤直、山本正直
- 左衛門大夫
- 北条綱成・氏繁・氏舜・氏勝、野田、垪和
- 左京助
- 柿沢
- 左京進
- 岡部親綱、小山、相良
- 左京大夫
- 白川、北条氏綱・氏康・氏政・氏直
- 左京亮
- 永島、横田、金子、栗田、後藤、三浦元政、持田、若海、周防、小河、神田、浅海、太田、豊前、堀内、野村、和田
- 左近
- 荒川、高橋、佐久間、桜井、石上、秩父、長江、渡辺、奈良
- 左近尉
- 次名信明
- 左近助
- 興津
- 左近将監
- 芦川景盛、小熊、庄、正木時長、滝川一益、猪又、内藤直行、富田知信
- 左近丞
- 大石
- 左近大夫
- 安中、横地勝吉、庄、上田朝直、正木時忠、相馬治胤、大草康盛、島津
- 左兵衛
- 垪和
- 左兵衛尉
- 土岐
- 左兵衛佐
- 吉良氏朝・頼康
- 左馬允
- 行方、小沢、石巻、朝比奈泰忠、椎名
- 左馬介
- 土屋
- 左馬助
- 桑原、原田宗時、斎藤、手島、松田憲秀・直秀、諏訪、大石、比企、武田信豊、北条氏時・氏規、木村
- 左馬亮
- 逸見
- 式部
- 間々田、金子、高井、山造、酒井、出浦、小保方、上野、星野
- 式部尉
- 馬場
- 式部少輔
- 榊原康政、庄、設楽、大藤政信、中村一氏
- 式部丞
- 向原政秀、大須賀、大藤政信、立川
- 式部大輔
- 真里谷信応、原胤栄、渋江
- 治部
- 篠窪
- 治部左衛門
- 久々宇、近藤、古尾谷、持田、林
- 治部左衛門尉
- 栗田
- 治部少輔
- 佐藤、三田綱定、小保方、石田三成、倉賀野、大久保忠隣、大畠長晴、北条氏秀
- 治部丞
- 山角直繁、野村
- 治部大輔
- 岡見治広、吉良治家、山角直繁
- 主膳
- 石原
- 主膳亮
- 山下、村上、萩野
- 主馬
- 安藤
- 主馬允
- 吉原
- 修理
- 斎藤
- 修理進
- 上高尾、鈴木
- 修理大夫
- 蘆名盛氏
- 修理亮
- 伊波、羽尾、遠山政秀、奥、関、岩崎、金子、行方、山中康豊、柴田勝家、星屋、赤尾広宗、前島、中田、東、堀内、野中、矢内
- 将監
- 井草、岡谷、関根、境田、戸張、山下、志村、小山田、上原、千野、増田、多比良、長江、内村、二見、梅沢、浜野、服部、北爪、綿貫、野本、矢部、矢部、友光
- 将監丞
- 池上
- 城介
- 織田信忠
- 甚内
- 朝比奈泰寄
- 図書
- 薗田、山田、小曽戸、小沢、神保、比木、落合
- 図書助
- 蔭山、関口、関根、橋本、佐藤、小倉、中島、椎名、島村、道祖土、南、武、鈴木
- 大学
- 河野、斎藤、真里谷、川目
- 大学助
- 伊波、賀藤、岸、栗原、栗田信豊、寺島、狩野、舟戸(船戸)、鈴木
- 大膳
- 牛込、酒井、南雲、尾崎、北爪
- 大膳正
- 山口
- 大膳大夫
- 国分
- 大膳亮
- 依田康信、円城寺頼長、吉橋、久米、狩野、正木憲時、大島、中村、反町、矢部
- 大納言
- 中山
- 内匠
- 塩野、橋本、木村
- 内匠助
- 井出、遠藤、吉橋、吉川兼岡、原、小野、石井兼実、大谷、由木
- 帯刀
- 井田、磯崎、閑野、境、窪田、根岸、斎藤賢吉、三沢、山田、田口
- 帯刀左衛門
- 小板橋
- 帯刀左衛門尉
- 椎名、蜷川、三上
- 帯刀助
- 関口、大道寺
- 丹後守
- 安中、賀藤、小野、大草康盛、大竹、長門、北条、鈴木
- 弾正
- 引間、円城寺、荻原、皆川、行方、倉林、田原、茂呂
- 弾正右
- 仁木
- 弾正左衛門
- 椎名、難波田善銀
- 弾正左衛門尉
- 布施康朝
- 弾正少弼
- 大内、長尾景虎、蘆野盛泰
- 弾正忠
- 伊奈盛泰、越知影好、恒岡、小田切、小敷屋、織田信秀、真田、増田
- 主税助
- 井原、下、荒木、三谷、富岡
- 舎人
- 清水
- 主殿助
- 天野
- 内記
- 吉田、原科、白石
- 内記助
- 野崎
- 内膳
- 河尻、原田、山崎、島田
- 内膳助
- 大野行通
- 内膳正
- 長尾、板倉
- 内膳亮
- 河村、佐野、渡辺、野口
- 中務
- 岩井
- 中務尉
- 飯田泰長
- 中務少輔
- 上野家成、谷田部、脇坂安治
- 中務丞
- 浦野、金子、佐瀬
- 中務大輔
- 安保、一色、岡見宗治、佐竹、宍戸、土肥、富(戸見)、本多忠勝、簗田高助・晴助・持助
- 縫殿助
- 毛利、伊東、吉野、高橋、小曽戸、小沢、小幡、新井、仙波、川野、川連、大野、内田、落合
- 隼人
- 河田、関山、岩本、宮内、山取、山本、升田、水野、田山、豊泉、野崎、鈴木
- 隼人佐
- 遠山直景、岡谷、近藤、進藤
- 隼人正
- 津田
- 隼人佑
- 二見
- 囚獄
- 長野、津久井、野村
- 囚獄助
- 中
- 兵衛尉
- 小幡信定、朝比奈泰寄、椎名
- 兵衛大夫
- 大森、和田信業
- 兵庫
- 円城寺、金上盛備、勝、石川、大野、梅沢
- 兵庫助
- 一櫟、宇津木、岡安、関根、吉田、久々宇、原、高井、高田、師岡、宍戸、柴崎、小野、青木、太田正勝、大川、長谷部、渡辺
- 兵庫丞
- 師岡
- 兵庫大夫
- 布施
- 兵庫頭
- 伊勢、小笠原氏長
- 兵部
- 橋爪、高岸、高城、根岸、室賀
- 兵部右衛門
- 矢野
- 兵部少輔
- 金子、原、小笠原元続・康広
- 兵部丞
- 安藤、横瀬勝繁、関、小野寺長綱、松本、青岡、川村、内田、武井、和田
- 兵部太郎尉
- 佐藤
- 兵部大夫
- 武田豊信
- 兵部大輔
- 愛洲、国分、細川藤孝、正木
- 美濃介
- 和知
- 民部
- 右谷、佐久間、星野
- 民部右衛門尉
- 大戸
- 民部少輔
- 後藤、江戸、坂口、三谷、小林国家
- 民部丞
- 出浦、小菅、中村、南条、二見、板橋、木村
- 民部大夫
- 宮岡盛久、相馬胤永
- 民部大輔
- 村上、大内
- 木工
- 多田
- 木工左衛門尉
- 樋口
- 木工助
- 若林、森、中山、重田
- 主水
- 宇野、鵜山、吉田、長田、天野
- 主水佐
- 佐藤、芝山、発智
- 主水助
- 巻島、関、諏訪部
- 主水正
- 島津、内藤
- 主水佑
- 原
- 靭負尉
- 小河
受領名
- 安芸守
- 村野、多賀谷政広、池田、北条、矢野
- 安房守
- 北条氏邦
- 淡路守
- 雨宮、正木、清水、前原、倉賀野家吉、大屋、大和
- 伊賀守
- 安西、伊東、栗原、山中、山田、星野、石巻、村山、大河、徳江、矢野、立川、林、鈴木、和田
- 壱岐守
- 根本
- 伊豆守
- 関口、小山
- 和泉守
- 伊波、岡部、柿崎、岩本、吉橋、吉田真重・政重、佐相、桜井、青山、太田、鳥海、土屋、梅沢、八木、飯塚、豊泉、豊田、牧
- 出雲守
- 宇田川、永島、越知、小河、設楽利継、池田、鮒田、林
- 伊勢守
- 大貫、朝見、椎名、矢井
- 因幡守
- 井田、遠山、久々宇、県、高柳、小野、松木、大島、猪熊長重、朝倉、長島、南条昌治、茂呂、木部
- 伊予守
- 滝川、田口、渡辺長広、垪和氏続
- 石見守
- 宇田川、河目、関根、県、根本、松本景繁、長田、田代、渡辺
- 越後守
- 加納(神尾)、恒岡、狩野、上野、中台、中沢、長尾、木下、木村
- 越州守
- 荻原
- 越前守
- 安中、岡本政秀、河目、笠原、近藤、金子、原、御宿綱秀、高麗、志村昌瑞、西原、太田、大森、大和勝親、半田政勝、本郷、落合
- 越中守
- 岡部、巨海、金子、大須賀、萩野、幡谷、板部岡
- 近江守
- 五十嵐、高麗、佐々木、山中、小島、須藤、大石秀信、大塚、島根、島村、八条
- 大隅守
- 関谷、篠田、匝瑳
- 隠岐守
- 狩野、菅谷
- 尾張守
- 小幡憲重、松田盛秀・憲秀、大須賀、飯塚
- 甲斐守
- 遠山政景、鷲宮
- 加賀守
- 岡谷、興津、金子、須田、大草、竹間、中田、白井、鈴木
- 上総介
- 月岡、山口、小幡信真、壬生義雄、北条綱成
- 河内守
- 岩田、上田、新木、村岡、大井、良知
- 紀伊守
- 金子、高瀬、山角定勝、船沢、大和田、奈良原、木村正直
- 上野介
- 山角康定、周防、上田憲定、清水、赤堀、朝倉、黒沢繁信
- 相模守
- 渋川、北条氏康・氏政
- 薩摩守
- 矢沢
- 佐渡守
- 安威、甘利、芹沢、金井、原重信、勝田、松浦康成、植松、椎名、土屋、島根、内田、布施康能、天野
- 讃岐守
- 芹沢、斎藤、中原
- 信濃守
- 山本家次・正次、小宮、多賀谷、大須賀、大石、長尾為景、木村、由良成繁・国繁、垪和
- 志摩守
- 安蛇井、井田、原、山崎堅家
- 下総守
- 依田康信、宇津木、羽柴雄利、山口、春日、小板橋、成田氏長、大沢、反町、富永、木暮、簗田
- 下野守
- 押田、岡本重政、高城胤辰・胤吉・胤忠、水野信元、清水、石巻、川尻、浅見、太田、木呂子
- 周防守
- 雲沢、江戸重久、上田、杉山、曽祢長重、豊田、茂呂
- 駿河守
- 加藤、閑馬、金子、松島、大道寺周勝・資親・政繁、那波顕宗
- 摂津守
- 興津、江戸朝忠、斎藤定盛、春日、小曽戸、松岡、椎名、土屋
- 但馬守
- 安西、井上、賀藤、久保、金井、高見沢、柴崎、杉崎、大草、沢村、武井、中村、鈴木
- 丹波守
- 遠山綱景、岡見、岡部、海保、岩瀬、高橋、高麗、車、小曽戸、新田、瀬戸、谷沢貞儀、竹長、猪俣、福島、堀内、木呂子
- 筑後守
- 興津、戸張、上野貞国、森、中、勅使河原、堤
- 筑前守
- 鵜沢、小河、小山、上野貞国、大石、竹本、渡辺、武藤、林
- 対馬守
- 河村定真、河田、岩崎、高岸、山角、山田、出浦、青木、大村、内田、馬見塚、富岡、武
- 出羽守
- 近藤綱秀、篠窪、若林、沼上、上原、神屋、中条、福島、北爪長秀、門沢
- 遠江守
- 井田、高山、篠窪、小野寺景綱、森、諏訪部、朝倉、波田野、野口、野中、矢部
- 土佐守
- 井原、原重政、三浦、四方田、市川、川連、中村、町田、椎名、道祖土、毛呂顕季
- 長門守
- 蔭山、額賀、喜多条、吉原、恒岡資宗、小池、小野、神保、大藤直昌、武藤
- 能登守
- 桑原、上田朝直・長則、清水、猪俣邦憲、朝倉景隆、板部岡康雄、富永助盛
- 播磨守
- 勝田、小笠原康広、小幡昌高、大橋、朝倉、二宮
- 肥後守
- 所、小田野、松田康郷、太田、福島
- 肥前守
- 安藤、桜井、三津、志村景元、小池、松田、成田、仙波、池谷、長谷部
- 備前守
- 梶原、苅部、栗原、小村江、小甫方、長谷部、土屋、門沢、林
- 飛騨守
- 高山、狩野、大曽根、南条、尾崎
- 常陸介
- 岩堀、大胡(毛利)高繁、木村、赤見、中野、尾崎、北条氏繁
- 備中守
- 安藤、伊勢、荻原、山川、小泉、太田、町野
- 日向守
- 黒沢、堀内
- 備後守
- 斎藤、千野、大畠、野本
- 豊前守
- 安藤、下沼田、河田、間宮康俊、窪田、原、斎藤、小沢、瀬下、太井、反町
- 豊後守
- 鮎川、岩本、吉岡、座間、小滝、松井、森、糟谷、猪久繁、田山、田島、都築、藤間、浜名時成、野原、葉山
- 伯耆守
- 河田、御厨、酒井康治、石川、垪和康忠
- 三河守
- 伊丹政富、遠山、梶原朝景、高村、細谷資満、小幡信尚、森、神庭、布施康貞、豊島貞継、野村、落合、簗
- 美濃守
- 郷沢、金子、太田資正、反町、北条氏規
- 美作守
- 静野、笠原、宮城為業、山口、手島、松川、石川、太田、南条、富岡、富田氏実、布施景尊
- 陸奥守
- 北条氏照
- 山城守
- 遠藤、海上胤保、皆川広照、岸野、戸張、向原、高麗、斎藤、師岡、松井、仁神、赤見、中地、南条長吉、布施、豊前、矢野、立川、鈴木
- 大和守
- 岡部、角田、岩井、高、菅谷、大貫、直江景綱、東、内藤綱秀・昌月、馬見塚
- 若狭守
- 遠藤、間宮綱信、原、後藤繁能、佐枝信宗、山口、山田、沼野、新井、石川、倉林、島村、福島
戦国遺文今川氏編
官途
- 右衛門尉
- 芋川親正、奥山、蒲原元賢、甲斐敏光、星谷、長尾顕忠、土屋昌恒、花井
- 右衛門佐
- 一色氏久、畠山、本間
- 右衛門四郎
- 星谷
- 右衛門太郎
- 中村
- 右衛門大夫
- 伊丹、下条義鎮、広瀬、三浦
- 右京助
- 月谷
- 右京進
- 酒井、小笠原、小笠原春茂、津月、都筑
- 右京大夫
- 佐竹、細川勝元・晴元・政元
- 右京亮
- 伊東貞守、井出、蔭山、加賀爪泰定、賀茂、近藤、紅林、渋谷親重、勝原直恒、松井、松平、松平義春、植松、神座、神尾、西郷、本多、和田家久
- 右近
- 高橋、牧野
- 右近尉
- 勝原為久、矢田
- 右近佐
- 今村
- 右近左衛門尉
- 中畠
- 右近三郎
- 細江谷
- 右近助
- 三浦
- 右近将監
- 石川忠成
- 右近丞
- 佐藤
- 雅楽助
- 岩瀬、岡部、蒲原、栗田、佐竹高貞、酒井政家、松平親重、大隅、大村、渡辺、富士
- 右中将
- 山科言経
- 采女
- 吉野、若林、葛山
- 右兵衛尉
- 垪和
- 右兵衛佐
- 足利義氏、大沢
- 右兵衛助
- 高橋
- 右兵衛大夫
- 朝比奈信置
- 右兵衛督
- 仁木義持
- 右馬允
- 関春光、山内通輔、牧野貞成・成守
- 右馬佐
- 小笠原長隆
- 右馬助
- 小鹿元詮、秋鹿、松平、足立勝正、朝比奈、富永、富士忠時、福島、福島春興、野田、簗田助実
- 右馬丞
- 加賀爪
- 右馬大夫
- 田代久重
- 右馬頭
- 一色、細河、細川尹賀、毛利輝元
- 大炊左衛門尉
- 朝比奈
- 大炊助
- 金差、後藤、松平好景、瀬見、石川信昌、跡部勝資
- 大炊頭
- 真里谷
- 大蔵
- 阿部定吉
- 大蔵丞
- 幸田定治
- 織部佐
- 菅沼定村
- 織部丞
- 菅沼不春、二宮
- 織部佑
- 神尾元直
- 勘解由左衛門尉
- 松平康定、河合、豊島、由比光英
- 勘解由助
- 江尻
- 主計
- 片岡
- 主計允
- 野依親家
- 主計助
- 河連助国、榊原久重、牧
- 掃部助
- 伊集院忠倉、岩城、金子、三豬、小野崎
- 掃部丞
- 大井、大田
- 掃部頭
- 安田
- 刑部
- 垪和、垪和
- 刑部尉
- 藤原国吉
- 刑部右衛門
- 天野
- 刑部左衛門
- 山角定勝、浅井、福沢
- 刑部左近
- 河内重茂
- 刑部少輔
- 一色、赤井、赤松、関口氏純、篠、篠原、上杉朝昌、帯兼、大館、武藤氏定
- 刑部丞
- 松平、常葉、朝比奈
- 刑部大輔
- 新納忠元、関口氏縁、手賀、平塚
- 宮内
- 真田、神加茂
- 宮内右衛門尉
- 天野藤秀
- 宮内左衛門尉
- 吉里、松浦
- 宮内助
- 市川昌房
- 宮内少輔
- 関口、原、源政康、佐々木賢誉、藁科
- 宮内丞
- 秋山昌満
- 宮内大輔
- 一色義直、原胤隆、原胤隆、山田
- 宮内亮
- 織田
- 内蔵
- 山口
- 内蔵佐
- 清田
- 内蔵助
- 小倉勝久
- 蔵人
- 佐原、松下建昌、朝比奈、富士信通
- 蔵人佐
- 松井、松平信孝、大道寺盛昌、徳川(松平)家康
- 蔵人左大弁
- 中御門宣秀
- 蔵人丞
- 伊達忠宗
- 蔵人頭右近衛権中将
- 庭田重保
- 蔵人頭右大弁
- 中御門資胤
- 蔵人頭右大弁
- 柳原淳光
- 外記
- 橋本
- 玄蕃
- 栗田、足代、大坪
- 玄蕃尉
- 芹沢
- 玄蕃允
- 松平清善
- 玄蕃助
- 山路
- 玄蕃頭
- 穴山信君
- 監物
- 黒田、太田、畔田
- 監物丞
- 井伊朝光、奥平定勝・定能、御宿友綱、松平家次、西郷信房
- 左衛門
- 土肥、二俣
- 左衛門尉
- 安保泰通、一宮元実、遠山景前、遠山康英・康光、海老名、興津清房、結城、原頼郷、御宿、酒井忠次、松田頼秀、村岡、町田義之、長井、長池親能、長尾、長尾憲景、田原、島津忠久、藤原、富士、武蔵、福島助春、由比為光、由比光澄
- 左衛門九郎
- 梧岡、村松綱吉
- 左衛門五郎
- 小島家次
- 左衛門佐
- 今川、渋川義鏡、小笠原広重、小笠原定基、小早川隆景、松井宗信、上杉憲清、大館晴光、北条氏尭
- 左衛門三郎
- 下岩崎
- 左衛門次郎
- 岡村久吉、御宿友綱
- 左衛門少尉
- 今川国氏
- 左衛門太郎
- 上島、石黒成吉、土屋
- 左衛門大夫
- 粟屋、浅井、横須賀、穴山信君、行方、佐々木(六角)義賢、鹿島、鳥山、飯尾元種、北条綱成
- 左衛門督
- 結城晴朝、小山、松平、大友義鎮、桃井
- 左衛門督
- 朝倉義景
- 左京進
- 安方、岡部親綱、小美、村井、朝比奈、林
- 左京大夫
- 伊達晴宗、佐々木(六角)定頼、三好義継、仁木長政、北条氏綱・氏康・氏政
- 左京亮
- 伊東貞久、秋鹿、蔭山貞広、興津、戸田(藤田)定光、後藤勝元、佐野、三浦元政、三沢、大石、武田、豊前氏景
- 左近
- 遠山(苗木)道廉、津田、匂坂直興
- 左近尉
- 戸田政光、西茂重、藤原
- 左近衛門
- 西屋
- 左近三郎
- 雲谷
- 左近四郎
- 前島
- 左近次郎
- 松平
- 左近助
- 伊東、興津、興津信家
- 左近将監
- 奥山友久、高橋、根本、松井忠次、正木実次、中村親清、福島春能、木戸、矢部
- 左近丞
- 神尾
- 左近太郎
- 井出、毛呂
- 左近大夫
- 一色、後藤宗誕、斎藤利政、大草康盛
- 左兵衛佐
- 大沢基胤
- 左兵衛丞
- 左兵衛督
- 斯波、足利政知・晴氏
- 左馬允
- 岡部、朝比奈泰忠
- 左馬助
- 原河、三浦、山口教継、酒井、小原、新野、諏訪、太田、武田信繁、垪和広基
- 左馬丞
- 近藤
- 左馬頭
- 紀井守世、足利義氏
- 式部
- 佐野
- 式部少輔
- 上野、大藤
- 式部丞
- 石川信実、石田、武田信嗣
- 式部大輔
- 下川辺、印東、大森顕隆
- 治部少輔
- 荒河、今川範将、小田切、上杉政憲、上杉朝良、大沢
- 治部大輔
- 一色義紀、今川義元、今川義忠、斯波、上杉、中居
- 修理
- 多賀谷重経、平野
- 修理権大夫
- 平時明
- 修理助
- 後藤
- 修理進
- 興津、古津、高橋、色部、西、中路
- 修理正
- 内藤昌秀
- 修理大夫
- 今川氏親、佐竹義昭、上杉定正、相良義頼、島津義久、尼子晴久、畠山義継、蘆名盛重
- 修理亮
- 一宮宗久、賀、甲斐、高氏師、今河、佐野、三和、氏家、勝田、小長谷、進士晴舎、長尾
- 将監
- 粟生永信、賀藤、興津、芹沢、三浦、酒井忠尚、小野、松下長安、上原、植松、中山、渡辺、平賀勝家、矢部
- 将監太郎
- 鈴木重春
- 少弐
- 佐々木長守
- 周防守
- 庵原、松浦盛、進藤
- 図書助
- 角田、四宮輝明、太田資忠、渡辺盛、富士、福島助春
- 摂津助
- 肥後
- 大学助
- 興津
- 大膳大夫
- 武田晴信
- 大膳亮
- 印東、奥山、奥山良茂、菅沼定継、正木時茂、中村、筒井藤秀、南部
- 大納言
- 広橋国光
- 内匠助
- 三浦正俊、曽祢昌世
- 内匠頭
- 由比光綱
- 帯刀
- 岡部、佐野宗元、朝比奈
- 帯刀左衛門尉
- 山本成氏、瀬上
- 弾正
- 下条、三宅、西郷、渡辺、那須
- 弾正左衛門
- 戸田(田原)、西郷吉員、難波田善銀
- 弾正左衛門尉
- 朝倉、荻野、戸田(松平)宗光
- 弾正小弼
- 今川、佐々木(六角)定頼、小笠原信興、上杉景虎、上杉憲藤、長尾景虎
- 弾正忠
- 伊奈盛泰、加治木兼盛、甘利、戸田憲光、佐久間、春日虎綱、織田信長・信秀
- 主税助
- 佐野、万沢
- 千葉介
- 千葉勝胤・邦胤・孝胤・胤富
- 中将
- 岩崎、長田
- 中納言
- 広橋綱光、北畠
- 典厩
- 上杉定昌、武田信豊
- 主殿助
- 戸田重貞
- 内記
- 石川数正
- 内膳大夫
- 長井
- 内膳亮
- 松井
- 中務
- 鈴木
- 中務少輔
- 上野家成、植野、谷内部
- 中務丞
- 永見輔安、本間季能・久季、藁科
- 中務大輔
- 一色、瀬名氏範、千葉、富士、木曽義康、簗田高助・晴助
- 縫殿
- 鈴木
- 縫殿左衛門
- 由比
- 縫殿左衛門尉
- 清
- 縫殿助
- 坂下、杉山、白石、本多正忠
- 縫殿丞
- 町田
- 隼人
- 上条、渡辺、藤井、由比
- 隼人佐
- 丹羽
- 隼人佑
- 原昌胤
- 兵衛尉
- 朝比奈元智、長尾
- 兵衛太郎
- 松平
- 兵衛太郎尉
- 佐藤
- 兵衛大夫
- 富永
- 兵庫助
- 伊藤、奥平(宮崎)信近、葛山、高井、柴豊宗、小笠原氏長、小野、松井貞宗、上原、植松元俊、真木重信、大河内真家、中山、渡辺、浜名政明、浜名忠正、牟呂、矢野、鱸信重
- 兵部
- 小笠原、朝比奈
- 兵部少輔
- 一色、下条、後藤、中安定安、富士信忠
- 兵部丞
- 奥山定友、桑原
- 兵部大輔
- 一色、今川国氏、細川藤孝、武田信懸
- 民部
- 下里、近藤康用、中川
- 民部少輔
- 高瀬、小笠原貞頼、小鹿、天野、富樫氏賢
- 民部丞
- 奥山、今村、牧野成勝、野呂、由比光能、孕石行重
- 民部大輔
- 大須賀、今川範政、上杉、上杉房定、大内晴泰、中居、木内、里見
- 木工左衛門尉
- 土屋
- 木工助
- 吉江茂高
- 主水佐
- 孕石元泰
- 主水助
- 戸田、鈴木
- 主水佑
- 井伊
- 靭負
- 幡鎌
受領名
- 安芸守
- 江馬泰顕、三浦、石川忠成、天野景泰
- 安房守
- 三吉隆亮、北条氏邦、里見
- 淡路守
- 古槇、正木時盛・頼時、長沼、福島
- 伊賀守
- 伊東祐遠、井伊直勝、井出、茨木、芹沢、高尾、渋谷、菅沼定盛、西尾親範、石巻、中村、長谷川、板倉勝重、福島
- 伊豆守
- 関口、興津、栗原、穴山信友、荒川、佐々、小原、武田信懸、木戸忠朝
- 和泉守
- 岡部、柿崎景家、岩間、岩瀬、守屋、小野、松井、松平親乗・真乗、水野、清貞英、福島範為
- 伊勢守
- 伊勢貞宗、遠藤、上杉
- 出雲守
- 目賀田、䳬田
- 因幡守
- 小野、松井、鷹野徳繁、長尾寛景、福島春興、野瀬頼則
- 伊予守
- 各和道空、諏訪、西郷、大館尚氏、筒井定次・順慶・藤賢、富樫氏賢、垪和氏続
- 石見守
- 岡部輝忠、玉井、近藤康用、松本景繁、大石、長谷川、鳥谷尾満栄
- 越後守
- 関口氏経、青木、周西、大塚、鈴木
- 越前守
- 井口、隠岐、勝田之長、小畑高勝、織田、村田経定、大田、百々、福島、鱸
- 越中守
- 粟屋宗菊、巨海、真木、長池
- 近江守
- 佐々木、大塚、二俣扶長、飯尾貞運、本間、里見
- 大隅守
- 伊波
- 隠岐守
- 河村縄興、甘利、菅谷、孕石
- 尾張守
- 井出、蔭山、春日、織田信長、真田、大東、大友、長尾
- 甲斐守
- 遠山綱景、荒川、妹尾
- 加賀守
- 伊勢貞満、江馬時成、斎藤安元、狩野、藤井、飯尾清房、鈴木
- 上総介
- 加子、今川義忠、今川氏真、今川範国、今川範氏、今川範政、今川範忠、小幡信真、織田信長、畠山、武田信高
- 河内守
- 岩瀬、富永、簗田成助
- 紀伊守
- 今村慶満、浅見、朝比奈、林
- 上野介
- 寺尾、酒井忠尚、上田、清水、曽我教助、沢木、武田信友
- 上野守
- 清水康英
- 相模守
- 富士信忠、北条氏康・氏政
- 薩摩守
- 粟屋、島津義俊
- 佐渡守
- 甘利、久能、後藤真正、水谷
- 讃岐守
- 栗田、原河、細河、小田氏治
- 信濃守
- 井伊直平・直盛、小笠原貞信、大森藤頼、朝比奈泰高、長野、矢部定信、由良成繁
- 志摩守
- 下条
- 下総守
- 神戸、成田長泰・正等、多賀谷、富津
- 下野守
- 宇都宮、宮、小山高朝、水野信元、曽祢昌世、朝比奈、朝比奈親孝・時茂、東、簗田助孝
- 駿河守
- 奥山、吉川元春、山内、大石、朝比奈信置、板垣信方
- 摂津守
- 興津、中原晴門、朝比奈、良知
- 但馬守
- 井上継隆・憲定、古槇延能、江戸、小笠原長則、小野、糟屋、大庭、長尾、津渡野
- 丹後守
- 海老江元喜、蒲原、杉山、大草、北条高広
- 丹波守
- 岡部、覚島、戸田、佐竹、朝比奈親徳、野瀬、鈴木
- 筑後守
- 吉田、走井、長坂虎房、茂木
- 筑前守
- 大石、朝比奈輝勝
- 出羽守
- 一宮、最上、三豬政長、牧野保成、由比
- 遠江守
- 宇都宮、狩野、拙秀治、万沢
- 土佐守
- 芹沢、青山、今村玄龍、三浦、三枝虎吉、飯尾、毛呂
- 長門守
- 三浦、植松盛信、前島、朝比奈
- 能登権守
- 大森
- 能登守
- 奥山、富士忠時・親時
- 播磨守
- 葛山、荒河、松田車順
- 肥後守
- 各和、朝比奈、友野
- 肥前守
- 松浦隆信、大原資良
- 備前守
- 加賀爪政豊、糟屋、走井、池谷、渡辺
- 飛騨守
- 朝原、武田
- 常陸介
- 温井
- 常陸守
- 菅沼定仙、富士
- 備中守
- 伊勢貞隆、海上師胤、葛山、太田永厳、大河内真家、大河内貞綱、丹下盛知、朝比奈泰朝・泰煕・泰能、町野義俊、浜名政明
- 日向守
- 吉野、元井、石川家成、鈴木重治、和夫
- 備後守
- 広戸重久、三浦正俊、松平清善、織田信秀
- 豊前守
- 河田長親、土屋(岡部)貞綱、飯尾連龍・乗連・致実、由比光澄
- 豊後守
- 佐保田、斎藤宗基、西郷、多賀、福島春久、本多広孝
- 伯耆守
- 河田重親、秋山虎繁、石川数正、多芸
- 三河守
- 加賀爪永授、海老名、根本、佐野、小幡信尚、曽根虎長、天方、徳川(松平)家康、毛呂、木戸孝範
- 美濃守
- 奥山良茂、岡部久綱、興津久信、山本、菅沼、太田資正、土岐頼芸、馬場信春、板倉、矢部
- 美作守
- 梶原政景、興津、小笠原氏興、跡部勝忠、中村、土岐、由比
- 陸奥守
- 一色、瀬名親隆、大館、島津貴久、北条氏照、毛利元就
- 山城守
- 皆川広照、近藤、斎藤龍興、松井貞宗・宗能、進藤賢盛、豊前、牧野、垪和広基
- 大和守
- 伊集院忠朗、岡部、河村縄興、原河、高、高山、松井、直江景綱、飯尾元連、由比光広
- 若狭守
- 阿多、佐野、朝比奈、長野、匂坂直興、馬場、飯尾、鈴木、藁科
2019/12/14(土)「入道」の前後につく言葉
史料不足だったため、追記・修正
入道リスト
「入道」で呼称を戦国遺文(後北条氏編と今川氏編)の索引で抽出したものに、埼玉県資料叢書、信長文書の研究、神奈川県史、静岡県史、愛知県史からのデータを付加。自称・他称や文書形式で実情は異なると思われるが、そこは反映していない。
種類別のグラフ
リスト
種別 | 要素 | 名前 | 出典 |
---|---|---|---|
A=入道のみ | 入道 | (新井)入道 | 戦北 |
A=入道のみ | 入道 | (伊勢)入道 | 戦北 |
A=入道のみ | 入道 | (長尾)入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 仮名+入道 | (伊勢)新九郎入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 仮名+入道 | (奥平)八郎左衛門尉入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 仮名+入道 | (紅林)次郎左衛門入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 仮名+入道 | (西郷)弾正左衛門入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 仮名+入道 | (向坂)六右衛門入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 仮名+入道 | (鳥居)源七郎入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 仮名+入道 | (波木井)六郎入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 仮名+入道 | (松下)善九入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 仮名+入道+諱 | (興津)藤兵衛入道正信 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (笠原)越前入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (北条)上総入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (山本)信濃入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (簗田)中務入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (浅原)飛騨入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (荒河)播磨入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (伊東)伊賀入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | 近江入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (岡部)美濃入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (興津)美濃入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (奥平)監物入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (加賀爪)三河入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (筒井)伊予入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (永見)中務丞入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (冨士)相模入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (松井)山城入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (御厨)伯耆入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (岩瀬)和泉入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (幡鎌)靱負入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 官途+入道 | (簗田)中務入道晴助 | 他 |
B=俗名・入道 | 官途+入道+諱 | (清水)上野入道康英 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 道名+入道 | 信玄入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+仮名+入道 | 糟屋新左衛門入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+仮名+入道 | 小島三郎右衛門入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+仮名+入道 | 伊勢新九郎入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+仮名+入道 | 上杉四郎入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+仮名+入道 | 遠山三郎兵衛入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+仮名+入道 | 牧野平左衛門入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 天野佐渡入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 天野新右衛門尉入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 安藤豊前入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 笠原越前入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 加納越後入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 北条安芸入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 毛利安芸入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 喜多条安芸入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 清水上野入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 神保宮内入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 関善左衛門入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 長尾左衛門尉入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 原若狭入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 原豊前入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 北美(北条美濃)入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 山本信濃入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 間宮豊前入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 真里谷大学入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 簗田中務大輔入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 天野安芸入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 飯尾若狭入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 近藤山城入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 佐々木丹波入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 袴田対馬入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 松井山城入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 三浦安芸入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 興津美作入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 糟屋但馬入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 安保信濃入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 大森信濃入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 上杉修理太夫入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 富士兵部大輔入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 波多野伊賀入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 長尾左衛門入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 上田蔵人入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 矢野安芸入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 木村式部入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 発知山城入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 蔭山長門入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 岡部豊後入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 仁科民部入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 蒲生下野入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 布施淡路入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 種子島左近大夫入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 本庄美作入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 大井左馬允入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 戸次伯耆入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 遠山左衛門入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 太田美濃入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 山左入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 冨岡対馬入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 山角対馬入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 島津修理入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 大森式部大輔入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 石毛大和入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 神庭三河入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 斎藤式部入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 福本掃部入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 高井兵庫入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 原河讃岐入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道 | 板部岡越中入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道+諱 | 北条美濃守入道氏規 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道+諱 | 松田尾張入道憲秀 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+官途+入道+諱 | 伊東三位入道義祐 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 赤見入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 板部岡入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 梅原入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 大戸入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 海保入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 北入(北条入道) | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 久米入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 国分入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 酒井入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 清水入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 神保入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 鈴木入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 長尾入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 伊藤入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 難波田入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 堀入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 本郷入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 今井入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 大日方入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 里見入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 石井入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 林入道 | 他 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 杉田入道 | 戦北 |
B=俗名・入道 | 名字+入道 | 坂田入道 | 戦今 |
B=俗名・入道 | 諱+入道 | (向坂)長能入道 | 戦今 |
C=出家名・入道 | 道名+入道 | (鵜殿)玄長入道 | 戦今 |
C=出家名・入道 | 道名+入道 | (海老江)存高入道 | 戦今 |
C=出家名・入道 | 道名+入道 | (詫摩)正碩入道 | 戦今 |
C=出家名・入道 | 道名+入道 | (和夫)法源入道 | 戦今 |
D=混合 | 官途+入道+道名 | (長尾)左衛門尉入道沙弥 | 戦今 |
D=混合 | 官途+入道+道名 | (浜名)前備中入道成繁 | 戦今 |
D=混合 | 官途+入道+道名 | (上杉)治部少輔入道建芳 | 他 |
D=混合 | 道名+官途+入道 | (中山)生心民部入道 | 戦今 |
D=混合 | 名字+仮名+道名+入道+諱 | 長尾平三宗心入道景虎 | 戦今 |
D=混合 | 名字+仮名+入道+道名 | 松平三郎右衛門入道浄賢 | 戦今 |
D=混合 | 名字+仮名+入道+道名 | 斉藤五良左衛門入道智伝二女 | 戦今 |
D=混合 | 名字+仮名+入道+道名 | 伊勢新九郎入道宗瑞 | 他 |
D=混合 | 名字+仮名+入道+道名 | 堀平右衛門入道道清 | 他 |
D=混合 | 名字+仮名+入道+道名 | 高橋一左衛門入道空道 | 他 |
D=混合 | 名字+官途+入道+軒号 | 上原民部入道随翁軒 | 他 |
D=混合 | 名字+官途+入道+道名 | 北条上総入道道感 | 戦北 |
D=混合 | 名字+官途+入道+道名 | 佐々木左衛門大夫入道承禎 | 戦今 |
D=混合 | 名字+官途+入道+道名 | 長尾左衛門入道伊玄 | 他 |
D=混合 | 名字+官途+入道+道名 | 大友左衛門督入道宗麟 | 他 |
D=混合 | 名字+官途+入道+道名 | 武田大膳大夫入道晴信 | 戦今 |
D=混合 | 名字+官途+入道+道名 | 北条安芸入道芳林 | 他 |
D=混合 | 名字+官途+入道+道名 | 南条山城入道香玉 | 戦北 |
D=混合 | 名字+道名+入道 | 奥平道紋入道 | 戦今 |
D=混合 | 名字+道名+入道 | 武田信玄入道 | 戦今 |
D=混合 | 名字+道名+入道 | 村松道化入道 | 戦今 |
D=混合 | 名字+入道+道名 | 板部岡入道江雪 | 戦北 |
D=混合 | 名字+入道+道名 | 海保入道長玄 | 戦北 |
D=混合 | 名字+入道+道名 | 堀入道道清 | 戦今 |
D=混合 | 名字+入道+道名 | 板入江雪 | 戦北 |
2018/10/13(土)羽柴秀吉の宣戦布告状一覧
豊臣秀吉文書集2766「羽柴秀吉条々」(個人蔵『秀吉の宣戦布告状』)
(欠落ヵ)北条事、近年蔑 公儀、不能上洛、殊於関東任雅意狼藉条、不及是非、然間去年可被成御誅罰処、駿河大納言家康卿依為縁者、種々懇望候間、以条数被仰出候へハ、御請申付而被成御赦免、則美濃守罷上御礼申上候事
一、先年家康被相定条数、家康表裏様ニ申上候間、美濃守被成御対面上者、境目等之儀被聞召届、有様ニ可被仰候之間、家々郎従差越候へと被仰出候処、江雪差上訖、家康与北条国切之約諾儀如何と御尋候処、其意趣者、甲斐・信濃之中城々ハ家康手柄次第可被申付、上野中者北条可被申付之由相定、甲信両国者即家康被申付候、上野沼田之儀者北条不及自力、却而家康相違之様ニ申成、寄事於左右、北条出仕迷惑之旨申上かと被思食、於其儀者沼田可被下候、乍去上野のうち、真田持来候知行三分二沼田之城ニ相付、北条へ可被下候、三分一ハ真田ニ被仰付候条、其中ニ有之城をハ真田可相拘之由被仰定、右北条ニ被下候三分二之替地者、家康より真田ニ可相渡旨被成御究、北条上洛可仕との一札出候ハゝ、即被差遣御上使、沼田可被相渡と被仰出、江雪被返下候事
一、当年極月上旬、氏政可致出仕之旨、御請一札進上候、依之被差遣津田隼人正・富田左近将監、沼田被渡下候事
一、沼田要害請取候上者、右一札相任、即可罷上と被思召候処、真田相拘候なくるミの城を取、表裏仕候上者、使者ニ非可被成御対面儀候、彼使雖可及生害、助命返遣候事
一、秀吉若輩之時、孤と成て信長公属幕下、身を山野に捨、骨を海岸に砕、干戈を枕とし夜はに寝、夙におきて軍忠をつくし戦功をはけます、然而中比より蒙君恩、人に名をしらる、因茲西国征伐之儀被仰付、対大敵争雌雄刻、明智日向守光秀以無道之故、奉討信長公、此註進を聞届、弥彼表押詰任存分、不移時日令上洛、逆徒光秀伐頸、報恩恵雪会稽、其後柴田修理亮勝家、忘信長公之厚恩、国家を乱し叛逆之条、是又令退治畢、此外諸国叛者討之、降者近之、無不属麾下者、就中秀吉一言之表裏不可有之、以此故相叶天道者哉、予既挙登龍揚鷹之誉、成塩梅則闕之臣、関万機政、然処氏直背天道之正理、対 帝都企奸謀、何不蒙天罰哉、古諺云、巧訴不如拙誠、所詮普天下逆 勅命輩、早不可不加誅罰、来歳必携節旄令進発、可刎氏直首、不可廻踵者也、
天正十七年十一月廿四日/(羽柴秀吉朱印)/北条左京大夫とのへ
豊臣秀吉文書集2767「羽柴秀吉条々」(大坂青山短期大学)
条々
一、北条事、近年蔑 公儀、不能上洛、殊於関東任雅意狼藉条、不及是非、然間去年可被成御誅罰処、駿河大納言家康卿依為縁者、種々懇望之間、以条数被仰出候へハ、御請申付候て被成御赦免、則美濃守罷上御礼申上候事
一、先年家康被相定条数、家康表裏様ニ申上候間、美濃守被成御対面上ハ、境目等之儀被聞召届、有様ニ可被仰候之間、家々郎従差越候へと被仰出候処、江雪差上訖、家康与北条国切之約諾儀如何と御尋候処、其意趣者、甲斐・信濃之中城々ハ家康手柄次第可被申付、上野中者北条可被申付之由相定、甲信両国者即家康被申付候、上野沼田之儀者北条不及自力、却而家康相違之様ニ申成、寄事於左右、北条出仕迷惑之旨申上かと被思食、於其儀者沼田可被下候、乍去上野のうち、真田持来候知行三分二沼田之城ニ相付、北条へ可被下候、三分一ハ真田ニ被仰付候条、其中ニ有之城をハ真田可相拘之由被仰定、右北条ニ被下候三分二之替地者、家康より真田ニ可相渡旨被成御究、北条上洛可仕との一札出候ハゝ、即被差遣御上使、沼田可被相渡と被仰出、江雪被返下候事
一、当年極月上旬、氏政可致出仕旨、御請一札進上候、因茲被差遣津田隼人正・富田左近将監、沼田被渡下候事
一、沼田要害請取候上ハ、右一札ニ相任、則可罷上と被思召候処、真田相拘候なくるミの城を取、表裏仕候上者、使者ニ非可被成御対面儀候、彼使雖可及生害、助命返遣候事
一、秀吉若輩之時、孤と成て信長公属幕下、身を山野に捨、骨を海岸に砕、干戈を枕とし夜はに寝、夙におきて軍忠をつくし戦功をはけます、然而中比より蒙君恩、人に名をしらる、依之西国征伐之儀被仰付、対大敵争雌雄刻、明智日向守光秀以無道之故、奉討信長公、此注進を聞届、弥彼表押詰任存分、不移時日令上洛、逆徒光秀伐頸、報恩恵雪会稽、其後柴田修理亮勝家、信長公之厚恩を忘、国家を乱し叛逆之条、是又令退治畢、此外諸国叛者討之、降者近之、無不属麾下者、就中秀吉一言之表裏不可有之、以此故相叶天道者哉、予既挙登龍揚鷹之誉、成塩梅則闕之臣、関万機政、然処氏直背天道之正理、対帝都企奸謀、何不蒙天罰哉、古諺云、巧訴不如拙誠、所詮普天下逆勅命輩、早不可不加誅伐、来歳必携節旄令進発、可刎氏直首事、不可廻踵者也、
天正十七年十一月廿四日/(羽柴秀吉朱印)/北条左京大夫とのへ
豊臣秀吉文書集2768「羽柴秀吉条々」(真田家文書)
条々
一、北条事、近年蔑 公儀、不能上洛、殊於関東任雅意狼藉条、不及是非、然間去年可被成御誅罰処仁、駿河大納言家康卿依為縁者、種々懇望候間、以条数被仰出候へハ、御請申付而被成御赦免、則美濃守罷上御礼申上候事
一、先年家康被相定条数、家康表裏様仁申上候間、美濃守被成御対面上ハ、境目等之儀被聞召届、有様ニ可被仰付之間、家々郎従差越候へと被仰出候処ニ、江雪差上畢、家康与北条国切之約諾儀如何と御尋候処、其意趣者、甲斐・信濃之中城々ハ家康手柄次第可被申付、上野之中ハ北条可被申付之由相定、甲信両国者則家康被申付候、上野沼田儀者北条不及自力、却而家康相違之様ニ申成、寄事於左右、北条出仕迷惑之旨申上候歟と被思食、於其儀者沼田可被下候、乍去上野のうち、真田持来候知行三分二沼田之城ニ相付、北条ニ可被下候、三分一ハ真田ニ被仰付候条、其中ニ在之城をハ真田可相拘之由被仰定、右北条ニ被下候三分二之替地者、家康より真田ニ可相渡旨被成御究、北条可出仕との一札出候ハゝ、則被差遣御上使、沼田可被相渡と被仰出、江雪被返下候事
一、当年極月上旬、氏政可致出仕旨、御請一札進上候、因茲被差遣津田隼人正・富田左近将監、沼田被渡下候事
一、沼田要害請取候上ハ、右一札ニ相任、則可罷上と被思召候処、真田相拘候なくるミの城を取、表裏仕候上者、使者ニ非可被成御対面儀候、彼使雖可及生害、助命返遣候事
一、秀吉若輩之時、孤と成て信長公属幕下、身を山野に捨、骨を海岸に砕、干戈を枕とし夜ハに寝、夙におきて軍忠をつくし戦功をはけます、然而中比より蒙君恩、人に名を知らる、依之西国征伐之儀被仰付、対大敵争雌雄刻、明智日向守光秀以無道之故、奉討信長公、此注進を聞届、弥彼表押詰任存分、不移時日令上洛、逆徒光秀伐頸、報恩恵雪会稽、其後柴田修理亮勝家、信長公之厚恩を忘、国家を乱し叛逆之条、是又令退治畢、此外諸国叛者討之、降者近之、無不属麾下者、就中秀吉一言之表裏不可有之、以此故相叶天命者哉、予既挙登龍揚鷹之誉、成塩梅則闕之臣、関万機政、然処ニ氏直背天道之正理、対 帝都企奸謀、何不蒙天罰哉、古諺云、巧訴不如拙誠、所詮普天下逆 勅命輩、早不可不加誅伐、来歳必携節旄令進発、可刎氏直首事、不可廻踵者也、
天正十七年十一月廿四日/(羽柴秀吉朱印)/北条左京大夫とのへ
豊臣秀吉文書集2769「羽柴秀吉条々」(伊達家文書)
条々
一、北条事、近年蔑 公儀、不能上洛、殊於関東任雅意狼藉条、不及是非、然間去年可被加御誅罰処、駿河大納言家康卿依為縁者、種々懇望之間、以条数被仰出候へハ、御請申付而被成御赦免、即美濃守罷上御礼申上事
一、先年家康被相定条数、家康表裏様ニ申上候之間、美濃守被成御対面上者、境目等之儀被聞召届、有様ニ可被仰付間、家々郎従指越候へと被仰出之処、江雪差上訖、家康与北条国切之約諾之儀如何と御尋候之処、其意趣者、甲斐・信濃中城々ハ家康手柄次第可被申付、上野之中者北条可被申付之由相定、甲信両国者即家康被申付候、上野沼田之儀者北条不及自力、却而家康相違之様ニ申成、寄事於左右、北条出仕迷惑之旨申上歟与被思食、於其儀者沼田可被下候、乍去上野之中、真田持来候知行三分二沼田之城ニ相付、北条へ可被下候、三分一ハ真田ニ被仰付之条、其中ニ有之城をハ真田可相拘之由被仰定、右北条ニ被下候三分二之替地者、自家康真田ニ可相渡旨被成御究、北条上洛可仕との一札出候者、即被指遣御上使、沼田可被相渡与被仰出、江雪被返下候事
一、当年極月上旬、氏政可致出仕之旨、■請一札進上之候、因茲被差遣津田隼人正・富田左近将監、沼田被渡下候事
一、沼田要害請取候上者、右相任一札、即可罷上と被思食之処、真田相拘候なくるミの城を取、表裏仕候上者、使者ニ非可被成御対面儀候、彼使雖可及生害、助命返遣候事
一、秀吉若輩之時、孤と成て信長公属幕下、身を山野ニ捨、骨を海岸に砕、干戈を枕とし夜はに寝、夙におきて軍忠をつくし戦功をはけます、然而自中比蒙君恩、人に名をしらる、依之西国征伐之儀被仰付、対大敵争雌雄刻、明智日向守光秀以無道之故、奉討信長公、此注進を聞届、弥彼表押詰任存分、不移時日令上洛、逆徒光秀伐頸、報恩恵雪会稽、其後柴田修理亮勝家、信長公之厚恩を忘、国家を乱し叛逆之条、是又令退治畢、此外諸国叛者討之、降者近之、無不属麾下者、就中秀吉一言之表裏不可有之、以此故相叶天道者哉、予既挙登龍揚鷹之誉、成塩梅則闕之臣、関万機政、然処氏直背天道之正理、対帝都企奸謀、何不蒙天罰哉、古諺云、巧訴不如拙誠、所詮普天下逆勅命輩、早不可不加誅伐、来歳必携節旄令進発、可刎氏直首事、不可廻踵者也、 天正十七年十一月廿四日/(羽柴秀吉朱印)/北条左京大夫とのへ
豊臣秀吉文書集2770「羽柴秀吉条々」(早稲田大学図書館・毛利家旧蔵文書)
条々
一、北条事、近年蔑 公儀、不能上洛、殊於関東任雅意狼藉条、不及是非、然間去年可被加御誅罰処、駿河大納言家康卿依為縁者、種々懇望候間、以条数被仰出候へハ、御請申付而被成御赦免、則美濃守罷上御礼申上候事
一、先年家康被相定条数、家康表裏様ニ申上候間、美濃守被成御対面上ハ、堺目等之儀被聞召届、有様ニ可被仰付候之間、家々郎従差越候へと被仰出候之処、江雪差上訖、家康与北条国切之約諾儀如何と御尋候処、其意趣者、甲斐・信濃之中城々ハ家康手柄次第可被申付、上野之中ハ北条可被申付之由相定、甲信両国者則家康被申付候、上野沼田儀者北条不及自力、却而家康相違之様ニ申成、寄事於左右、北条出仕迷惑之旨申上かと被思召、於其儀者沼田可被下候、乍去上野のうち、真田持来候知行三分二沼田之城ニ相付、北条ニ可被下候、三分一ハ真田ニ被仰付候条、其中ニ有之城ハ真田可相拘由被仰定、右之北条ニ被下候三分二之替地ハ、家康より真田ニ可相渡旨被成御極、北条上洛可仕との一札出候者、則被差遣御上使、沼田可相渡与被仰出、江雪被返下候事
一、当年極月上旬、氏政可致出仕之旨、御請之一札進上候、依之被差遣津田隼人正・富田左近将監、沼田被渡下候事
一、沼田要害請取候上ハ、右一札ニ相任、則可罷上と被思食候処、真田相拘候なくるミの城を取、表裏仕候上者、使者ニ非可被成御対面儀候、彼使雖可及生害、助命返遣候事
一、秀吉若輩之時、孤と成て信長公属幕下、身を山野に捨、骨を海岸に砕、干戈を枕とし夜はに寝、夙におきて軍忠をつくし戦功をはけます、然而中比より蒙君恩、人に名をしらる、因茲西国征伐之儀被仰付、対大敵争雌雄刻、明智日向守光秀以無道之故、奉討信長公、此註進を聞届、弥彼表押詰任存分、不移時日令上洛、逆徒光秀伐頸、報恩恵雪会稽、其後柴田修理亮勝家、信長公之厚恩を忘、国家を乱し叛逆之条、是又令退治訖、此外諸国叛者討之、降者近之、無不属麾下者、就中秀吉一言之表裏不可有之、以此故相叶天命哉、予既挙登龍揚鷹之誉、成塩梅則闕之臣、関万機政、然処氏直背天道之正理、対帝都企奸謀、何不蒙天罰哉、古諺云、巧訴不如拙誠、所詮普天下逆勅命輩、早不可不加誅伐、来歳必携節旄令進発、可刎氏直首事、不可廻踵者也、 天正十七年十一月廿四日/(羽柴秀吉朱印)/北条左京大夫とのへ
豊臣秀吉文書集2771「羽柴秀吉条々」(言継卿記)
条々
一、北条事、近年蔑公儀、不能上洛、殊於関東任雅意狼藉之条、不及是非、而去年可被加御誅罰処、駿河大納言家康卿依為縁者、種々懇望候間、以条数被仰出候へハ、御請申付而被成御赦免、則美濃守罷上御礼申候事
一、先年家康被相定条数、家康表裏之様ニ申上候間、美濃守被成御対面上ハ、境目等之儀被聞召届、有様ニ可被仰付候之間、家之郎従差越候へと被仰出之処、江雪差上訖、家康与北条国切之約諾儀如何と御尋候処ニ、其意趣者、甲斐・信濃之中城々ハ家康手柄次第可被申付、上野之中ハ北条可被申付之由相定、甲信両国ハ則家康被申付候、上野沼田儀ハ北条不及自力、却而家康相違之様ニ申成、寄事於左右、北条出仕迷惑之旨申上かと被思食、於其儀者沼田可被下候、乍去上野のうち、真田持来候知行三分二沼田城仁相付、北条ニ可被下候、三分一ハ真田ニ被仰付候条、其中ニ有之城をハ真田可相拘之由被仰定、右之北条ニ被下候三分二之替地ハ、家康より真田ニ可相渡旨被成御究、北条上洛可仕との一札出之、則被差遣下御上使、沼田可被相渡旨被仰出、江雪被返下候事
一、当年極月上旬、氏政可致出仕之旨、御請之一札進上候、依之被差遣津田隼人正・富田左近将監、沼田被罷下候事
一、沼田要害請取候上ハ、右之一札ニ相任、則可罷上と被思食候処、真田相拘候なくるミの城を取、表裏仕上ハ、使者ニ非可被成御対面儀候、彼使雖可及生害、助命返遣候事
一、秀吉若輩之時、孤と成て信長公属幕下、身を山野に捨、骨を海岸に砕、干戈を枕とし夜ハにいね、夙におきて軍忠をつくし戦功をはけます、然而中比より蒙君恩、人に名をしらる、因茲西国征伐之儀被仰付、対大敵争雌雄刻、明智日向守光秀以無道之故、奉討信長公、此注進を聞届、弥彼表押詰任存分、不移時日令上洛、逆徒光秀伐頸、報恩恵雪会稽、其後柴田修理亮勝家、信長公之厚恩を忘、国家を乱し叛逆之条、是又令退治了、此外諸国叛者討之、降者近之、無不属麾下者、就中秀吉一言之表裏不可有之、以此故相叶天命哉、予既挙登龍揚鷹之誉、成塩梅則闕之臣、関万機政、然処氏直背天道之正理、対帝都企奸謀、何不蒙天罰哉、古諺云、巧詐不如拙誠、所詮普天下逆勅命輩、早不可不加誅伐、来歳必携節旄令進発、可刎氏直首事、不可廻踵者也、
天正十七年十一月廿四日/御朱印/北条左京大夫とのへ
豊臣秀吉文書集2765「羽柴秀吉条々」(皇室の至宝東山御文庫御物四)要検討
条々
一、氏直事、近年蔑 公儀、不能上洛、於関東任雅意狼藉条、不及是非次第也、然間去年可加御誅伐之処、駿河大納言家康卿依為縁者、種々懇望之間、以条数申出候き、其旨就申御請令赦免、則叔父美濃守罷上令対面事
一、先年家康被相定条数、家康表裏之様申上之間、美濃守見参之上者、境目等之儀聞合、有様可被仰付之間、家々郎従可上置之由申下之処、江雪上之畢、家康与北条国割領知約諾之趣相尋云々、甲斐・信濃内城々ハ家康手柄次第可被申付之、上野内ハ氏直可為進止之由相定之、即甲信両国ハ家康任存分、上野沼田之儀ハ氏直不及自力、却而家康相違之様申成候、寄事於左右、出仕迷惑之旨言上かと思食、於其儀者沼田城可被渡下、但上野内、真田持来知行三分二沼田城相付之、氏直ニ可被下、三分一ハ真田ニ被仰付之条、其中ニ有之城ハ真田ニ可相拘之由被仰定、右北条ニ被下三分二之替地ハ、家康より真田ニ可被渡之旨相究、北条可上洛之一札出之者、則差下上使、沼田城可渡之旨被仰含、江雪返下事
一、当年極月上旬、氏政可致出仕之旨、御請之一札進上候、因茲津田隼人正・富田左近将監差下、沼田城渡遣事
一、沼田要害請取之旨、右一札ニ相任、即可罷上と思食之処、差上使者、、結句真田相拘那具留見城将計取之条、彼使者不能対面、既雖可覃傷害、助命追下事
一、秀吉若年之時、孤となり信長公の属幕下、砕骨山野、捨身海岸、干戈を枕とし、軍忠を竭し戦功を励す、中ころより別而君恩を蒙り、人ニ名をしらる、仍先年西国征罰之儀被仰付、対大敵争雌雄之刻、明智日向守光秀以無道之故、奉討信長公、聞此注進、敵陣弥相固任存分、不移時日馳上、斬逆徒光秀之頸梟獄門、勿報恩恵、其後柴田修理亮勝頼、忘信長公之厚恩、乱国家叛逆之条、是亦令退治畢、此外諸国叛ハ退之、降ハ脱之、無不属指麾者、就中秀吉不可有一言之表裡、以此故相叶天命に、予既挙登龍揚鷹之誉、成塩梅則闕之官、関万機政、氏直事背天道之正理、向帝都企奸謀、逆心蓋蒙天罰哉、古諺云、巧詐不如拙誠、所詮普天下逆勅命之輩、不可不加刑罰、来歳必携節旄令進発、可刎氏直之首事、不可廻踵者也、
天正十七年十一月廿四日/(羽柴秀吉朱印)/北条左京大夫とのへ