2017/04/21(金)鳥の密猟を禁じる後北条氏
1579(天正7)年2月10日に「網をもって鳥がつくもの」を押収して申告した松田郷の北村三郎左衛門は後北条氏に賞されて太刀1腰と15俵(米?)の褒美を貰っている。北村が持ってきたのは霞網だろうと思われる。この時の褒章は手厚く、後北条氏が鳥の狩猟を強く禁止していた背景を窺わせる。
その翌年には北条氏舜による布告があり、あらゆる道具での狩猟を禁止し、北村のように狩猟道具を取り上げて提出することが求められている。但し、「提出してきた狩猟道具は勿論として、更に褒美を加える」としていて、せっかく押収した狩猟具を民間に戻してしまう奇妙な文言となっている。
- 天正7年(年は実記)
於西郡、背御法度、以網鳥つくもの相押申上候、神妙ニ候、御太刀一腰、拾五俵被下候、仍如件、
己卯二月十日/(虎朱印)遠山奉之/松田郷北村三郎左衛門
神奈川県史資料編三下0841「北条家朱印状写」(相州文書所収足柄上郡三郎左衛門所蔵文書)
- 天正8年(年は実記)
法度。右、於東郡中、以弓・鉄炮鳥を射事、并さしわな、もちつな、天網を以鳥取事、依 仰出、毎年堅令停止訖、違背之人有之者、其在所之者共出合、不撰侍・凡下、則道具を取、玉縄へ可申来候、若令用捨者、郷村之者可為越度候、取道具於持来人者、彼道具者勿論、猶可加褒美者也、仍如件、
天正八年八月日/左衛門大夫(花押)/東郡
戦国遺文後北条氏編2190「北条氏舜法度写」(相州文書所収高座郡平十郎所蔵文書)