2018/05/01(火)笑止・せうし・勝事・咲止の用例

戦国期の「笑止」

「笑止」「せうし」「勝事」「咲止」の使用例は8文書、9ヶ所が該当する。用例については下記に翻刻を載せたので、それぞれの解釈から類別してみる。

  • 1・5は明確に追悼の意を示す

  • 2は実家への憂慮を示しつつ、兄を非難する意も含みそう

  • 3は明確に非難を示す

  • 4は同情を含んでの憂慮を示しつつ、その状況を招いた人物への非難を含みそう

  • 7は開戦となってしまった状況を憂慮している。ここに非難の意はなさそう

  • 6・8は憂慮の意も含みそうだが、人質の供出に応じなかったり参陣しなかったりした落ち度を責めている文脈であることから非難を示すように見える

上記より、故人を悼む際に使われる例は単純に「哀悼」でよいだろう。

一方で、他の用例では複雑な語彙でもあるように見える。

というのも、単独で明瞭な意味を成すというよりは、3のように明らかに非難と言い切れる使われ方をするためには、前後で強い言葉を用いる必要がある点、その他の例では非難を仄めかすような使われ方をしているのである。

諸点から考えると、「笑止」は未来への憂慮が強い「遺憾・非難」に近い用語なのかも知れない。但し、この言葉は哀悼以外では割ととらえどころがない印象が強い。用例も少ないため、あくまで憶測となる。

用例

1569(永禄12)年

1)岡部和泉守の父が逝去したことを、北条氏政が悼む

親父可有死去分候歟、さてゝゝ曲時分、笑止千万候、其地弥苦労候、雖然無了簡意趣候、常式ニ者、可相替間、一夜帰ニ被打越有仕置、さて薩埵へ可被相移候、返ゝ簡要候時分、一夜も其方帰路落力候、返ゝ只一日之逗留にて可有帰路候、猶大藤駿州衆被相談候様ニ、可被申合候、恐ゝ謹言、
閏五月十三日/氏政(花押)/岡部和泉守殿

  • 戦国遺文後北条氏編1243「北条氏政書状」(岡部文書)

1570(永禄13/元亀元)年

2)武田晴信の伊豆侵攻を、北条氏政の油断として上杉三郎景虎が残念がる(もしくは間接的に非難する)

御書拝見、奉存其旨候、信玄向豆州出張、只今時節不審存候、畢竟相州由断故、敵打不求候、如仰出御同陣之儀、去年以来之子細ニ候、急度以使御相談可被申処、左様之■無之事、由断存候、然篠窪を以被申入■仰出、無御余儀奉存候、去春御内意之透、伊右・幸田氏政父子江就申聞者、争彼者差越可被申候、両人失念仕不申届故、被指越候哉と致迷惑候、此旨可預御披露候、以上。尚以、信玄出張不審存候、当国之御勢、当府ニ被為集置儀、其隠有間敷処、豆州へ調儀、条ゝ不審存候、返ゝ御同陣之儀、最前ニ以使者可被得御意処、結句自此方、大石被指越候、惣別相州由断笑止ニ存候、後詰之儀、急速可被成置処、於拙者も過分奉存候、其上御同陣可有之由、急度明日相州へ可申越候、以上、
九日/差出人欠/宛所欠(上書:直江殿 三郎)

  • 戦国遺文後北条氏編4361「上杉景虎書状」(本間美術館所蔵文書)
3)南征しない上杉輝虎を、北条氏政が非難する

九日之註進状、今十二未刻、到来、越府へ憑入脚力度ゝ被差越由、祝着候、然而敵者、去年之陣庭喜瀬川ニ陣取、毎日向韮山・興国相動候、韮山者、于今外宿も堅固ニ相拘候、於要害者、何も相違有間敷候、人衆無調、于今不打向、無念千万候、縦此上敵退散申候共、早ゝ輝虎有御越山、当方之備一途不預御意見者、更御入魂之意趣不可有之、外聞與云、実儀與云、於只今之御手成者、笑止千万候、能ゝ貴辺有御塩味、御馳走尤候、恐々謹言、
八月十二日/氏政(花押)/毛利丹後守殿

  • 小田原市史小田原北条0985「北条氏政書状」(尊経閣所蔵尊経閣文庫古文書纂三)
4)伊豆戦線に出動して落ち着けない遠山康光を、大石芳綱が憂慮する(もしくは、その状況にした氏政を非難する)

今月十日、小田原へ罷着刻、御状共可差出処ニ、従中途如申上候、遠左ハ親子四人韮山ニ在城候、新太郎殿ハ鉢形ニ御座候間、別之御奏者にてハ、御状御条目渡申間敷由申し候て、新太郎殿当地へ御越を十二日迄相待申候、氏邦・山形四郎左衛門尉・岩本太郎左衛門尉以三人ヲ、御状御請取候て、翌日被成御返事候、互ニ半途まて御一騎にて御出、以家老之衆ヲ、御同陣日限被相定歟、又半途へ御出如何ニ候者、新太郎殿ニ松田成共壱人も弐人も被相添、利根川端迄御出候て、御中談候へと様ゝ申候へ共、豆州ニ信玄張陣無手透間、中談なとゝて送数日候者、其内ニ豆州黒土ニ成、無所詮候間、成間敷由被仰仏[払]候、去又有、御越山、厩橋へ被納 御馬間、御兄弟衆壱人倉内へ御越候へ由、是も様ゝ申候、若なかく証人とも、又ぎ[擬]見申やうニ思召候者、輝虎十廿之ゆひよりも血を出し候て、三郎殿へ為見可申由、山孫申候と、懇ニ申候へ共、是も一ゑんニ無御納得候、余無了簡候間、去ハ左衛門尉大夫方之子ヲ、両人ニ壱人、倉内へ御越候歟、松田子成共御越候へと申候へ共、是も無納得候、 御越山ニ候者、家老之者共、子兄弟弐人も三人も御陣下へ進置、又そなたよりも、御家老衆之子壱人も弐人も申請、滝山歟鉢形ニ可差置由、公事むきニ被仰候、御本城様ハ御煩能分か、于今御子達をもしかゝゝと見知無御申候由、批判申候、くい物も、めしとかゆを一度ニもち参候へハ、くいたき物ニゆひはかり御さし候由申候、一向ニ御ぜつないかない申さす候間、何事も御大途事なと、無御存知候由申候、少も御本生候者、今度之御事ハ一途可有御意見候歟、一向無躰御座候間、無是非由、各ゝ批判申候、殊ニ遠左ハ不被踞候、笑止ニ存候、某事ハ、爰元ニ滞留、一向無用之儀ニ候へ共、須田ヲ先帰し申、某事ハ御一左右次第、小田原ニ踞候へ由、 御諚候間、滞留申候、別ニ無御用候者、可罷帰由、自氏政も被仰候へ共、重而御一左右間ハ、可奉待候、爰元之様、須田被召出、能ゝ御尋尤ニ奉存候、無正躰為躰ニ御座候、信玄ハ伊豆之きせ川と申所ニ被人取候、日ゝ韮山ををしつめ、作をはき被申よし候、已前箱根をしやふり、男女出家まてきりすて申候間、弥ゝ爰元御折角之為躰ニ候、某事可罷帰由、 御諚ニ候者、兄ニ候小二郎ニ被仰付候而、留守ニ置申候者なり共、早ゝ御越可被下候、去又篠窪儀をハ、新太郎殿へ直ニ申分候、是ハ一向あいしらい無之候、自遠左之切紙二通、為御披見之差越申候、於子細者、須田可申分候、恐々謹言、追啓、重而御用候者、須弥ヲ可有御越候哉、返ゝ某事ハ爰元ニ致滞留、所詮無御座候間、罷帰候様御申成、畢竟御前ニ候、御本城之御様よくゝゝ無躰と可思召候、今度豆州へ信玄被動候事、無御存知之由批判申候、以上、
八月十三日/大石惣介芳綱(花押)/山孫参人々御中

  • 神奈川県史資料編3下7990「大石芳綱書状」(上杉文書)

1584(天正12)年

5)遠山半左衛門尉が戦死したことを、井伊直政が悼む

返々半左衛門尉殿之儀、不及是非事とハ申なから、御せうしにて候、御書を被遣候ハんか、明日御馬を被納候間、御取紛之時分ニ候条、我々より申越候、なさま遠州より重而可申入候、其元御存分之由、先以目出度候、以上、其表之様子急度御注進、則披露申候、仍半左衛門尉殿打死之由驚入候、御勝事千万ニ候、殿様一段御をしみ被成候、其方より被仰越様、一段神妙成儀ニ候由ニて候、是以御かんし被成候事、半左衛門尉殿之儀中々不及申候、乍去定事候間、不是非候、御弟子候之上者、少も御無沙汰被成間敷之由被仰出候、返々右旨我々方より相心得可申入候之由候、恐々謹言、
十月十七日/直政(花押)/宛所欠(上書:■■■■直政遠山佐渡守殿御返報)

  • 静岡県史資料編8_1758「井伊直政書状」(上原準一氏所蔵文書)

1586(天正14)年

6)人質の供出に応じない岡見中務の件を、北条氏照が憂慮する(あるいは非難する)

内ゝ自是以使可申届候由覚悟候処、能以飛脚初鮭到来、先日者初菱食、此度初鮭、当秋者両様共ニ従其地、始而到来候、一入珍重候、一、西口一段無事候、此節御加勢之儀如何様ニも可申上候条、先日之御面約之筋目、三人之証人衆如此御内儀御進上尤候、迎者可進置候、早ゝ可有支度候、貴辺五郎右衛門尉事者相済候、中務手前一段笑止候、御疑心ハ雖無之候、仰出難渋者、外聞不可然候、五日十日之間成共、先進上被申様ニ、達而助言尤候、然而為迎明日使可進候間、早ゝ支度尤候、我ゝも三日之参府申猶可申調候、委曲明日以使者可申候、恐ゝ謹言、
八月廿六日/氏照判/岡見治部大輔殿

  • 戦国遺文後北条氏編2989「北条氏照書状写」(旧記集覧)

1589(天正17)年

高橋丹波守に消息を伝えつつ、清水泰英が開戦間際の世情を憂う

何比御帰候哉、我ゝ者、與風罷帰候、其時分迄者、御帰之沙汰不承候キ、先日者、自小田原御札、殊船之 御印判調候而、我等迄満足ニ候、態是又御札、殊ニ初物給候、則致賞味候、然者御世上強敷候而、咲止ニ候、我ゝ罷帰砌者、以之外之様ニ候つる、近日者如何候哉、静ニ候、乍去自京都津田・富田と申人、于今沼津ニ有之由申候、石巻方をハ城中ニ小者一人ニ而指置、莵ニ角ニ是非者、来春と存候、此度以御使如去年証人之義、各へ被 仰付候間、其趣一両日已前申届候、御使衆へも具ニ申分候、併御国なミ人次之所、無了簡候、扨又籠城之支度、早ゝ可有之候、万吉重而可申候、恐々謹言、
極月十八日/上野康英(花押)/高橋丹波守殿参

  • 戦国遺文後北条氏編3578「清水康英書状」(高橋文書)花押は後筆の可能性あり

年未詳

8)参陣しなかった井出因幡守に対して氏政が立腹しており、憂慮すべき状況だと遠山直景が伝える(もしくは、氏政が強く非難していると山角定勝より告げられる)

今度御陣不参之儀付而、旧冬小田原へ以御使仕御申上候間、山紀へ添状申ニ付而、急度披露被申候処、殊外御隠居様御立腹之由、山紀拙者へ、如此被申越候、一段御笑止ニ存候、中ゝ於我等迷惑此節候、乍去今日参府申候間、紀州談合申候而、追而可申入候、半途ニ候之間、早ゝ申入候、恐ゝ謹言、
正月十日/遠右直景(花押)/井因御宿所

  • 戦国遺文後北条氏編3107「遠山直景書状写」(井田氏家蔵文書)
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