2017/05/04(木)川越と「そのはら」について

長野業尚と想定される、大熊伊賀守宛ての書状。酉年ということで1501(文亀元)年に比定されている。一方で、戦国遺文後北条氏編で、他の文書群と浮いている1608号にある「蘇原表」が「そのはら」と合致する場合が考えられる。その場合は写し文書の「元亀」と「文亀」が誤写である可能性が高い。であれば「房兼」は何れかの上杉氏だろう。

(注記:上杉顕定公之旗頭長野信濃守より御書写)
今日巳刻かわこへ・ふかわ江被成御働候間、当一族中同前ニふかわさいしよを御馬めくりニてちらされへきの由候間、たうてのこと御さきせひとしてふかわへ押込あいちらし候、近年ちらされす候ちを人すくなニていたし候間、おのゝゝたちうちいたし候間、かくハしやうけん手さきかけてうちしに候下人壱人つれ候、当手の事のこらす手おひ候、中々申候事も候ハす候、そのはらへたへしめんほくなく存候、せつしよの事ニて候間、一所ニても候ハす候、中々申事なく候、心中おしはかり存候、直ニ折かみをこし候事、めんほく候へ共、ほとゝをく候事にて候間、申越候、こさい使申へく候、謹言、
やかたよりそのほうへ御書をなされ候、打死候へとも、せめてのめんほくニて候、
(注記:右之書付共、大熊林庵所持仕候)
酉十二月廿六日/(注記:本ノママ)業尚在判/大熊伊賀守殿
埼玉県史料叢書12_7「長野業尚ヵ書状写」(高崎近郷村々百姓由緒書)
1501(明応10/文亀元)年 ★12月26日 比定


今日巳刻、川越・府川へ出動なさいましたので、この一族こぞって府川の在所を御馬廻として追い払うようにとのことで、私の部隊を先鋒として府川へ押し込んで追い払いました。近年は攻撃されていなかった土地で人が少なかったため、各自が応戦しましたので、『かくわしやうけん=各和将監?』の部隊から先駆けをして討死した下人が1名いました。私の部隊は残らず負傷しています。なかなか、言うに言えないことです。『そのはら=蘇原?』へ対し面目なく思っています。切所(要衝)のことなので、一ヶ所でのことでもありません。なかなか、言うに言えないことです。心中をお察しいただけますか。直接お手紙をいただいたのは面目(光栄)ですが、(お褒めの言葉とは)程遠いことですから、ご連絡します。詳しくは使者が申しましょう。

追伸:お屋形様(顕定)よりあなたに御書をお送りします。(私が)討死したとしても、これはせめての面目となります。


今度於蘇原表働、頸一被討捕候、殊敵鑓一本分捕、一段神妙、御感不斜候、仍先為御扶持、於御代官所千疋被遣候、尚明所於在之者、可遣知行由所也、恐ゝ謹言、
元亀三八月廿日/房兼(花押)/西又十郎殿
戦国遺文後北条氏編1608「某房兼感状写」


このたび、蘇原方面において、首級1つを討ち取られました。特に、敵之鑓を1本分捕り、一段と神妙で御感は斜めならざるものです。よって、とりあえずの御扶持として御代官所として100貫文を遣わします。更に明いた土地がありましたら知行として下されるとのことです。

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