2018/05/28(月)織田信長の戦時禁制

織田信長の戦時禁制で条書ではないもの

信長禁制はほぼ条書だが、永禄10年にある3件は非条書で例外的な存在。

多芸庄椿井郷。当郷之儀、依為太神宮領、伊勢寺内相構之旨、得其意候、然者陣取・放火・濫妨・狼藉、其外伐採竹木等、非分之族申懸之事、一切令停止畢、若於違背輩者、可加成敗者也、仍状如件、
永禄十年九月日/(織田信長花押)

  • 増訂織田信長文書の研究0070「織田信長禁制」(大西源一氏蒐集文書・伊勢古文書集一上)

北加納。右当郷百姓等、可罷帰候、然上者伐採竹木、猥作毛苅取、於令狼藉者、可成敗者也、仍下知如件、
永禄十年九月日/(織田信長花押)

  • 増訂織田信長文書の研究0071「織田信長禁制」(美濃円徳寺制札)

当寺并門前可為如前々、猥伐採竹木、於致陣取・放火・濫妨・狼藉輩者、可加成敗之状如件、
永禄十九月日/信長(花押)/崇福寺

  • 増訂織田信長文書の研究0072「織田信長禁制」(美濃・崇福寺文書)

戦時禁制・条書一覧

『増訂織田信長文書の研究』から、戦時のものと思われる禁制を抽出し、それらの箇条書き部分だけを表にした。

「軍勢」「甲乙人」「押執」のいずれかがが含まれているものを戦時と判断した。

一覧

文書番号 条項1 条項2 条項3 条項4 条項5 手数料記載 宛所
1555(天文24)年 07月 補遺049 諸軍勢濫妨・らうせきの事 放火之事 竹木を伐取事 尾張正法寺
1558(永禄元)年 12月 0026 軍勢甲乙人等、濫妨・狼藉之事 於境内殺生并寺家門外竹木伐採、令借宿事 祠堂物、買得・寄進田地、雖為本人子孫違乱事 准総寺庵、引得之地、門前棟別・人夫諸役等相懸、入譴責使事 於国中渡・諸役所事 白坂雲興寺
1558(永禄元)年 12月 補遺051 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 於境内殺生并寺家門外、竹木伐採之事 祠堂物、買徳、寄進田地、雖為出人子孫、不可致違乱之事 門前棟別、人夫諸役等相懸、入譴責使之事 於国中渡・諸役所之事 尾張正眼寺
1560(永禄3)年 12月 0028 軍勢甲乙人等、濫妨・狼藉之事 於境内殺生並寺家・門外竹木伐採、令借宿事 祠堂物、買得・寄進田地、雖為本人子孫違乱事 准総寺庵、引得之地、門前棟別・人夫諸役等相懸、入譴責使事 於国中渡・諸役所之事 東竜寺
1561(永禄4)年 05月 補遺112 甲乙人濫妨狼藉事 陣取放火之事 伐採竹木事、付諸役免許之事 北野村真福寺
1561(永禄4)年 06月 0029 甲乙人等、濫妨・狼藉之事 陣取・放火之事 伐採竹木之事 平野之内神戸市場
1563(永禄6)年 04月 0034 当手軍勢、濫妨・狼藉、陣取・放火、於境内殺生、況剪山林・竹木事 寺内・門前棟別・夫丸・譴責使并祠堂米徳政之事 為祠堂、若有寄進地、縦雖闕所之地類、違乱之族、次末寺諸庄園同前之事 妙興寺
1563(永禄6)年 10月 0038 濫妨・狼藉、放火之事 伐採竹木事 殺生之事 祠堂、買得・寄進田地令違乱事 寺領百姓已下新儀諸役之事 曼荼羅寺
1564(永禄7)年 10月 補遺007 当手軍勢甲乙人等、濫妨・狼藉、陣取、放火之事 於境内殺生、況伐採山林・竹木事 準総寺庵、棟別・人夫等相懸、并門前東西尾呂小家等入譴責使事 祠堂米寄進田地、徳政并俵物相留事 於方丈并諸寮舎要脚事 水野郷定光寺
1567(永禄10)年 09月 0073 陣取・放火之事 濫妨・狼藉之事 伐採竹木、猥立作毛苅事 千手堂
1568(永禄11)年 09月 0101 当手軍勢濫妨・狼藉之事 放火事 廻船令違乱事 沖島
1568(永禄11)年 09月 0102 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取・放火之事 伐採竹木之事 飯高
1568(永禄11)年 09月 0103 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣執、放火之事 非分之族申懸之事 京都上京
1568(永禄11)年 09月 0104 当手軍勢濫妨・狼藉事 陣執、放火之事 非分之族申懸之事 吉田郷
1568(永禄11)年 09月 0106 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 八瀬
1568(永禄11)年 09月 0107 当手軍勢濫妨・狼藉事 陣執、放火之事 伐採竹木并非分之族申懸事 四条あまへ
1568(永禄11)年 09月 0108 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、放火、付非分課役之事 伐採山林・竹木之事 賀茂社領境内六郷
1568(永禄11)年 09月 0109 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木并非分申懸之事 若王子并■■
1568(永禄11)年 09月 0110 当手軍勢濫妨・狼藉之事 伐採山林・竹木事、付放火事 為私相懸矢銭・兵粮米事 大山崎
1568(永禄11)年 09月 0111 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 紫野大徳寺同門前
1568(永禄11)年 09月 0112 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣執、放火之事 伐採竹木、并非分申懸之事 妙心寺
1568(永禄11)年 09月 0113 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木、非分申懸之事 南禅寺同門前
1568(永禄11)年 09月 0114 当手軍勢濫妨・狼藉事 陣執、放火之事 伐採竹木、并非分之族申懸事 新知恩院
1568(永禄11)年 09月 0115 当手軍勢濫妨・狼藉之事 放火、付殺生之事 伐採山林竹木事 清水寺同門前
1568(永禄11)年 09月 0116 当手軍勢・濫妨・狼藉之事 陣執、放火之事、付寄宿 伐採竹木之事 東寺同境内
1568(永禄11)年 09月 0117 当手軍勢濫妨・狼藉事 陣執、放火、付伐採竹木事 為私矢銭・兵粮米申懸之事 嵯峨郷清涼寺
1568(永禄11)年 09月 0118 当手軍勢濫妨・狼藉之事 為私相懸矢銭・兵粮米非分之事 陣取、放火、伐採竹木、田畠荒事 西八条遍照心院并境内
1568(永禄11)年 09月 0119 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、寄宿、放火之事 非分之族申懸之事 本能寺
1568(永禄11)年 09月 0120 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木、非分申懸之事 妙伝寺
1568(永禄11)年 09月 0121 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取・寄宿、并伐採竹木之事 放火、相懸矢銭・兵粮等非分之事 妙顕寺
1568(永禄11)年 09月 0122 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣執、放火之事 伐採竹木之事 尼崎本興寺并寺中
1568(永禄11)年 10月 0128 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、寄宿、放火之事 相懸矢銭・兵粮米等事 大和法隆寺
1568(永禄11)年 10月 0129 当手軍勢濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 永原
1569(永禄12)年 03月 0158 軍勢甲乙人濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 山林伐採竹木之事 刀田山鶴林寺
1569(永禄12)年 03月 補遺065 新儀之諸公事免許、付郷質・所質不可押執事 寺社領当知行分、不可有相違之事 山林伐採竹木、非分不可申懸之事 志賀郡伊香立
1569(永禄12)年 08月 0197 甲乙人等濫妨・狼藉事 陣取、放火之事 為下々猥非分申懸之事 勢州宇治朝熊三村
1570(元亀元)年 06月 0239 甲乙人濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 菅浦
1570(元亀元)年 06月 0242 甲乙人濫妨・狼藉之事 陣取、放火并矢銭等之事 伐採竹木、并酒飯仕出事 菅浦
1572(元亀3)年 10月 0345 陣執之事 伐採竹木之事 国役之事 西庄永明寺
1573(元亀4)年 03月 0365 当手軍勢、甲乙人乱妨・狼藉事 陣取、放火之事 山林竹木伐採事 矢銭・兵粮米等相懸事 新儀非分之族申懸事 大山崎惣庄中
1573(元亀4)年 07月 0381 濫妨狼藉・放火并陣取之事 矢銭已下申懸之事 寺領令違乱之事 和州西京薬師寺
1573(天正元)年 08月 0389 濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 別印村千福知行方
1573(天正元)年 08月 0391 甲乙人等、濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 惣社大明神并社家
1573(天正元)年 08月 0392 甲乙人等、濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 御簾尾村
1573(天正元)年 08月 0393 濫妨・狼藉、放火之事 陣取之事 山林伐採竹木之事 井川村
1573(天正元)年 08月 0394 甲乙人等、濫妨・狼藉之事 伐採山林竹木之事 非分族并寄宿之事 敦賀西福寺
1573(天正元)年 08月 0395 濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 滝谷寺并門前
1573(天正元)年 08月 0396 甲乙人等濫妨・狼藉之事 陣取、放火之事 伐採竹木之事 長崎村称念寺
1573(天正元)年 10月 0418 濫妨・狼藉之事、付矢銭之事 陣執、放火之事 伐採竹木、非分申懸事、付諸役事 一身田無量寿寺并門前
1574(天正2)年 01月 0440 陣取并寄宿等、不可有之、付不可伐採竹木事 矢銭・兵粮米并雖当座之取替、不可懸之事 諸給人入地・入被官等、如先規不可有異儀、付堂衆之儀、是又可為如先規事 和州法隆寺
1574(天正2)年 06月 補遺145 陣取放火事 濫妨狼藉事 伐採竹木事 三州山中勅願所法蔵寺門内門前
1574(天正2)年 11月 0485 軍勢・甲乙人、不可陣取、濫妨・狼藉事 不可伐採山林・竹木事 臨時之諸役令免除畢、并霊供米不可違乱事 金戒光明寺
1575(天正3)年 09月 0551 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事 越州織田庄
1575(天正3)年 09月 0552 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事、付陣取事 高田門徒境内熊坂郷
1575(天正3)年 09月 0553 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事 越州永平寺
1575(天正3)年 09月 0554 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事 越州寮村
1575(天正3)年 09月 0555 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事 越州新郷郷
1575(天正3)年 09月 0556 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事 越州竹守村
1575(天正3)年 09月 p94参考(柴田勝家発給) 当郷百姓等、早々可還住事 新儀非分之族申懸輩在之者、為地下人可直奏、并祀銭・礼物已下於立入者、双方可為同罪事 伐採山林・竹木者、押置可注進事 織田寺・同門前
1575(天正3)年 09月 p99参考(柴田勝家発給) 当郷百姓等、早々可還住事 新儀非分之族申懸輩在之者、為地下人可直奏、并祀銭・礼物已下於立入者、双方可為同罪事 伐採山林・竹木者、押置可注進事 越州新郷郷
1575(天正3)年 09月 補遺164 軍勢甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事 越前石場庄
1575(天正3)年 09月 補遺165 軍勢甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事 越州風尾村
1576(天正4)年 05月 0643 軍勢・甲乙人等、乱入・狼藉事 伐採山林・竹木事 陣取事 紀伊国大田
1577(天正5)年 03月 0705 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事 泉州松尾寺
1578(天正6)年 04月 0765 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 苅取麦事、付放火事 天王寺境内
1578(天正6)年 11月 0798 甲乙人等、乱妨・狼藉事 放火事 伐採竹木事 上牧郷
1578(天正6)年 11月 0799 軍勢・甲乙人等、乱入・狼藉事 陣取事 伐採山林・竹木事 塩川領中所々
1579(天正7)年 04月 0823 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 相懸矢銭・兵粮米事 陣取事 新儀課役事、付寺領違乱事 和州西京薬師寺
1580(天正8)年 03月 0856 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 新儀諸役事 壊取家事 摂州塚口
1580(天正8)年 03月 0857 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 新儀諸役事 理不尽入譴責使事 摂州西宮
1580(天正8)年 03月 補遺099 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 新儀課役事 理不尽入譴責使事 摂州湯山
1582(天正10)年 03月 0986 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 相懸箭銭・兵粮事 信州諏訪明神社家
1582(天正10)年 03月 0987 軍勢・甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 相懸箭銭・兵粮事 信濃国諏訪神宮寺境内
1582(天正10)年 03月 0988 当寺陣取之事 乱妨・狼藉事 放火之事 上坊
1582(天正10)年 03月 0989 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 非分課役事 上坊院内
1582(天正10)年 03月 0990 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 相懸箭銭・兵粮米事 仁科郡栗尾山満願寺
1582(天正10)年 03月 0991 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 相懸矢銭・兵粮等事 放火事 信州下諏方慈雲寺境内
1582(天正10)年 03月 0992 籠屋落所之事 濫妨・狼藉之事 放火之事 乾福寺
1582(天正10)年 03月 0993 甲乙人等、濫妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆料等、一切禁制事 吉野郷
1582(天正10)年 03月 0994 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓已下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同事 信州小県内南牧村
1582(天正10)年 03月 0995 甲乙人等、濫妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆料等、一切禁制事 武井ノ庄田辺郷
1582(天正10)年 03月 0996 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同 小林村
1582(天正10)年 03月 0997 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 相懸箭銭・兵粮米事 大野郷雨方
1582(天正10)年 03月 0998 甲乙人等、乱入・狼藉事 対立帰地下人・百姓、成煩事 懸矢銭・兵粮等事 比地郷
1582(天正10)年 03月 0999 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住地下人百姓、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆料等、一切禁制事
1582(天正10)年 03月 1000 軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 非分課役事 甲州巨摩郡伝嗣院境内
1582(天正10)年 03月 1001 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同禁制事 保■郷
1582(天正10)年 03月 1002 甲乙人等、濫妨・狼藉之事 陣取・放火之事 還住之者、違乱之事 奈良原
1582(天正10)年 03月 1003 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同禁制事 川口郷
1582(天正10)年 04月 1017 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲州諏訪社
1582(天正10)年 04月 1018 甲乙人等、乱妨・狼藉之事 於宮中ニ陣取、放火之事 往還之貴賎、社中投一宿之事 八幡宮
1582(天正10)年 04月 1019 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同事 御嶽山
1582(天正10)年 04月 1020 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、令煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲州二宮郷
1582(天正10)年 04月 1021 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同事 西山慈照寺
1582(天正10)年 04月 1022 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 非分課役事 法善護国寺境内
1582(天正10)年 04月 1023 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同事 千塚郷穀蔵寺
1582(天正10)年 04月 1024 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 中郡仁勝寺
1582(天正10)年 04月 1025 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 非分課役事 恵雲院
1582(天正10)年 04月 1026 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採竹木事 非分課役事 甲州府中長慶寺
1582(天正10)年 04月 1027 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 実相院
1582(天正10)年 04月 1028 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 山梨郡少林寺
1582(天正10)年 04月 1029 甲乙人等、乱妨・狼藉事 剪採山林・竹木事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 楢原郷光西寺境内
1582(天正10)年 04月 1030 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 岩手村信盛院
1582(天正10)年 04月 1031 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲斐法正寺
1582(天正10)年 04月 1032 軍勢甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 放火事、付、堂舎壊取事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲州塩山向岳寺門前
1582(天正10)年 04月 1033 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲斐雲峯寺
1582(天正10)年 04月 1034 甲乙人等、乱妨・狼藉事 山林・竹木伐採并殺生事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 東林院
1582(天正10)年 04月 1035 甲乙人等、乱妨・狼藉事 伐採山林・竹木事 非分課役事 柏尾山境内
1582(天正10)年 04月 1036 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甘利内須沢郷
1582(天正10)年 04月 1037 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 巨麻中郡山上郷
1582(天正10)年 04月 1038 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲斐神戸郷
1582(天正10)年 04月 1039 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 小室郷
1582(天正10)年 04月 1040 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同事 下宮地郷(宛所に「八幡神主参」)
1582(天正10)年 04月 1041 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 甲州上条
1582(天正10)年 04月 1042 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲州下井尻郷
1582(天正10)年 04月 1043 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲斐岩下郷
1582(天正10)年 04月 1044 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲州西保郷
1582(天正10)年 04月 1045 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 仏師原郷
1582(天正10)年 04月 1046 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 甲州於曽郷
1582(天正10)年 04月 1047 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 八代郡西海郷
1582(天正10)年 04月 1048 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出候 所付欠
1582(天正10)年 04月 1049 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、同事 所付欠
1582(天正10)年 04月 1050 甲乙人等、乱妨・狼藉事 対還住百姓以下、成煩事 非分課役事 御判銭・取次銭・筆耕等、不可出之 所付欠

2018/05/28(月)「野菜は申し出てから奪え」という指示

秀吉の制札

本来寺や郷村を保護する指示書でなぜ?

羽柴秀吉が出した定書に「糠・藁・薪・野菜は住人に通告してから取るように」という条文がある。ということは「通告さえすれば奪ってよい」ということになる。


駿河内ふから
一、軍勢味方の地にをいて乱妨狼藉の輩、一銭きりたるへき事
一、陣取にをいて火を出す族あらは、からめとり出すへし、自然逐電せしめハ、其主人罪科たるへき事
一、ぬか・わら・薪・さうし以下亭主に相ことハり可取之事
右条々若令違犯者、忽可被処厳科旨被仰出候也、
天正十七年十二月日/(羽柴秀吉朱印影)

  • 豊臣秀吉文書集2897「羽柴秀吉定書」(判物証文写・東大史影写)

この定書は駿河・遠江に3件。所付を欠いたものが16件配布されていて、信憑性は高い。

この手の禁止事項は地権者、上記で言えば駿河国深良郷が受け取り、略奪にやってきた羽柴方を追い返すのに用いられる。他の制札を見ると、境内には絶対入るなとか、狼藉は禁止するという強い制止が書かれており、侵入されたり略奪されたりという事態に陥った地権者が提示する作りになっている。

となるとこの定書は不思議で、深良郷にとっての利点は「糠・藁・薪・雑事(=野菜)を奪われるのは防げないが、略奪通告はしてもらえる」ということでしかない。狼藉禁止・防火対策を命じた前2条との抱き合わせで郷村に条件をのませたのだろうか。

類似文書を探してみる

似た文書がないかを探してみたところ、遡ること55年前、今川義元・太原崇孚が出した禁制に「竹木・芋・大豆・菜・雑事を、所望せずに抜き取ること」が書かれ禁止されていた。

制札
すとなかさとかゝへ
一、軍勢甲乙人等、濫妨狼藉之事
一、苅田之事
一、竹木・芋・大豆・菜・雑事、不所望抜取事
右、堅停止之上、於違犯之輩者、可処厳科者也、仍如件、
七月廿六日/文頭に(朱印「義元1型」)崇孚(花押)

  • 戦国遺文今川氏編0776「今川義元禁制」(富士市中里・多聞坊文書)1545(天文14)年比定

もう1つ。後北条氏も年未詳ながら「陣具・芋・大豆のたぐいはどこの土地のものでも取ってよい」と書いている。

制札
右、大河原谷西之入筋、案独斎於知行、諸軍人馬取事、并屋敷之内ニて、鑿取令停止候、但陣具・芋・大豆之類者、何方之地候共、可為取之者也、仍状如件、
九月九日/(虎朱印)

  • 戦国遺文後北条氏編3815「北条家制札」(浄蓮寺文書)

こう並べてみると、米穀を除く食糧・道具は略奪禁止から外されており、中でも後北条氏は通告についても明示せず「どこの地でも奪ってよい」と保証している。この点から特に略奪への制約が少ない、といえるだろう。

 一見すると、同時代史料から見てこの考えで問題はなさそうに見える。

 

しかし、この仮説は誤っている。

もう少し掘ってみる

念のため、戦国遺文をざっと見渡してみると、無条件略奪を許可していた後北条氏が、一転して「草1本でも抜くな」と厳命している文書があった。

禁制
一、寺内之儀者不及申、近辺之菜園一本にてもこき取間敷
一、寺之山林枝木にても手指事、并竹子一本にてもぬき取
一、非儀非分有間敷事
以上
右三ヶ条、少も相違有之者、富士常陸可被申断、彼者大方申付ニ付而者、当意御本城へ納所を指越、可被申上候、不申上而、宿取衆狼藉、自脇至于入耳者、住寺可為曲事者也、仍状如件、
卯月廿六日/(朱印「武栄」)南条四郎左衛門尉・幸田与三奉之/海蔵寺

  • 戦国遺文後北条氏編1414「北条氏康禁制写」(相州文書所収足柄下郡海蔵寺文書)1570(永禄13/元亀元)年比定

禁制
一、寺内之儀不及申、近辺之菜園一本ニてもこき取
一、寺山林枝木ニても手指事、并竹子一本ニてもぬき取
一、非義非分有間敷事
以上
右三ヶ条、少も相違有之者、甘利佐渡・久保新左衛門尉可令申断、彼両人大方ニ申付候者、当意御本城江納所を指越、可申上候、為不申上、宿取衆狼藉、自脇至于入耳者、住寺可為曲事者也、仍状如件、
午卯月廿六日/(朱印「武栄」)南条四郎左衛門尉・幸田与三奉之/久翁寺

  • 戦国遺文後北条氏編1415「北条氏康禁制写」(相州文書所収足柄下郡久翁寺文書)1570(永禄13/元亀元)年に比定

これは、当時隠居だった北条氏康が海蔵寺・久翁寺に出したもの。富士・甘利・久保は今川氏の被官で、武田・徳川に分国を奪われた今川家は当時小田原近辺に居候していた。隠居していた氏康が朱印状を出したのは、当主の氏政が虎朱印を持って出陣していたため。

状況を推測すると、いわば友軍として保護していた今川家中が寺院に対して横暴を働き、たまりかねた寺が氏康に頼み込んで禁制を発行してもらったのだろう。

となると、略奪容認だったはずの後北条氏が今度は厳格な対応をしたことになる。上の2件では「菜園の1本」「竹の子」でも一切触るなと命令しているからだ。

今川氏の方でも、これは被官の大原資良が出したものだが、野菜を掘り取ってはならないとしている。

制札 本興寺
一、当寺中戸はめ并門前小家等、不可破取
一、竹木不可伐、又野菜不可堀取
一、沙弥雑人不可剥、次鍬鎌不可取
普請付而竹木以外所用之事有之者、以折紙直住持へ可所望候、無左右猥不可濫妨者也、
永禄十二巳二月廿七日/資良(花押)

  • 戦国遺文今川氏編2289「大原資良禁制」(湖西市鷲津・本興寺文書)

ますます判らなくなり、手持ちの各書を当たってみた。類似の文書が更に出てくれば実態が判るかもしれない。

  • 戦国遺文後北条氏編・今川氏編
  • 小田原市史資料編小田原北条
  • 増訂織田信長文書の研究
  • 愛知県史資料編10
  • 明智光秀(八木書房)

そして「野菜だったら抜いてよい」という文言は1つも見つけられなかった。

つまり、秀吉定書に類似した今川・後北条の文書が1つずつ出てきたものの、実際はかなり特殊で例外的な条項だったということだ。

秀吉定書自体は何通も現存していて疑いようがなく、後北条・今川の2文書も伝来・文言に不自然なところはない。秀吉の定書きでの他の条文の表現すると、郷村向け禁制というよりは、軍令に近いような印象もある。

これは恐らく、情報が足りていないということだ。各種禁制をもっと追わねばならない。

2018/05/06(日)駿河・伊豆・相模にいた朝倉氏

今川・後北条の家中に存在した朝倉氏はどこから来たか

名字からいって、斯波家守護代だった朝倉氏からの分流なのは確実だと思われる。

1549(天文18)年9月18日の朝倉氏像銘(戦北355)によると、北条氏綱の次男である為昌の室は朝倉氏の出身で「彼施主古郷豆州之住呂、名字朝倉」と書かれる養勝院殿。この縁で、初期の玉縄衆として朝倉氏が活躍している。

もう1つ、朝倉義景と後北条氏が直接交流した書状が残されている。これは相模海蔵寺住持が越前永平寺を訪れた際のもの(戦北4561)。しかし、氏康・氏政父子に次いで名が出たのは「松田殿・中村殿」であり、同族としての繋がりは見られない。

下山治久氏による朝倉氏出自の説明

一貫して、今川氏親の被官だった人物が、後北条家に来たという説明になっている。石巻・関・福島といった、今川被官からの転出集団に帰属すると考えているようだ。

『北条早雲と家臣団』(下山治久)p169

朝倉氏は、もと今川氏親の家臣で、早雲に仕えたのち、朝倉氏の娘が為昌の室になったために、氏綱の側近から為昌の側近家臣になった人である。

『家臣団人名辞典』p11 朝倉氏項

越前国の守護職朝倉義景から朝倉景徳を通して相模国海蔵寺に年未詳八月八日朝倉景徳書状写(相州文書・4561)が来ており、朝倉氏と北条氏が近しい関係にあることを示している。『寛政譜』巻六六六~七に朝倉氏系図を載せ、越前国守護職の朝倉敏景の次男秀景の嫡男玄景が伯父氏景と不和になり、玄景は駿河国の今川氏親の許に行き天文二年十一月に死去した。その一族が北条氏に仕えたものと思われ、朝倉播磨守某が伊勢宗瑞に仕えたと推定される。

初めて朝倉氏が登場する文書を比較

後北条側では、享禄4年という早い段階で既に、朝倉右京が祖父「古播磨」の小田原香林寺寄進に言及しており、伊勢盛時と同時に相模入りしたか、もしくはそれ以前により早く小田原にいた可能性すらある。

それに対して、今川側では天文17年とかなり後での登場。駿河長津俣の所領を、破産した浦田又三郎から買い取ったところから始まる。待遇にしても、当主次男に嫁いだ後北条側と比較すると、かなり低いところに見える。

後北条氏での初出

1531(享禄4)年12月5日

香林寺開山以来祖父古播磨代寄進申分。拾貫文、西谷畠、大窪分。壱貫弐百文、南面田、同分施餓鬼免。弐貫四百文、織殿小路、同分本尊仏供免。壱貫弐百文、城下屋敷一間、古播磨同霊供。以上拾四貫文八百文。右、前ゝ寄進分書立、進之候、仍如件、
辛卯十二月五日/朝倉右京(花押)/香林寺御納所

  • 戦国遺文後北条氏編0098「朝倉右京寄進書立写」(相州文書所収足柄下郡香林寺文書)

今川氏での初出

1548(天文17)年11月24日

駿河国中河内長津俣五ヶ村預職之事。右、去年補任于浦田又三郎之処、借物過分之条、依困窮売渡于朝倉弥三郎云々、然者、任証文之旨、彼職如先例可取沙汰之旨、所令領掌如件、
天文十七十一月廿四日/治部大輔(花押影)/朝倉弥三郎殿

  • 戦国遺文今川氏編0881「今川義元判物写」(国立公文書館所蔵判物証文写今川二)

とりあえずの推測

武蔵遠山氏が堀越の足利政知配下から伊勢盛時に合流したと推測されているように、朝倉氏も堀越からの合流組ではないか。

足利政知は、関東へ入るために斯波氏の援軍を計画していた時期がある。この時に斯波家の守護代である甲斐・朝倉の両氏が関係しているのは確実なので、その時期に朝倉氏が一族の誰かを伊豆に置いた可能性がある。これが1460(寛正元)年頃で、この直後に斯波家は大規模な御家騒動に見舞われている。この騒動に紛れたり、時間が経ち過ぎたりで越前との関係性が途切れたのではないか。

また、文書として登場順からすれば後北条に最初に仕え、その後に駿河へ進出したように見える。