2017/05/21(日)『家忠日記』における鉄炮衆の記述

派遣されたり戻ってきたりの記述が殆どで、実際にどう戦ったかは書かれていない。

1578(天正6)年

  • 11月11日「家康よりちやくとうつけ被侍八十六人中間百二十六人鉄放十五ハリ弓六張鑓廿五本有鑓持三人」
  • 11月30日「牧野へ鉄放衆廿人籠候」
  • 12月06日「牧野鉄放衆かへり候」

1579(天正7)年

  • 08月05日「自家康早ゝ弓てんはうの衆つれ候て、西尾江越候へ被仰候て、にしをへ越候」

1582(天正10)年

  • 07月12日「鉄放衆信濃■田■へ二人■■」
  • 10月06日「ミたけこやへ、鉄放衆番ニ一人つゝ越候」

1593(文禄2)年

  • 01月23日「去年春中大納言様つくしへ御出陣之刻たて候てつはう衆二人、中間二人帰由候」
  • 01月26日「去春筑紫へ遣候鉄炮衆上下四人、御返候、そとくちにてあい候」

2017/05/18(木)所領役帳リスト化

集団名 人数 総役高 平均役高 筆頭者名
御家門方 17 7760 456 葛西様御領・備中殿
小田原衆 34 9,287 273 松田左馬助
玉縄衆 18 4,257 237 左衛門大夫殿
松山衆 15 3,390 226 狩野介
他国衆 28 3,617 129 小山田弥三郎
小机衆 29 3,438 119 三郎殿
伊豆衆 29 3,392 117 笠原美作守
諸足軽衆 20 2,260 113 大藤式部丞
三浦衆 32 3,344 105 伊井四郎右衛門
御馬廻衆 94 8,426 90 山角四郎左衛門・石巻下野守
社領 13 1,113 86 鶴岡領
御家中役之衆 17 1213 71 平山源太郎
寺領 28 1,289 46 泰平寺殿
職人衆 26 897 35 須藤惣左衛門
津久井衆 57 1,697 30 内藤左近将監
江戸衆 103 1,678 16 遠山丹波守
総数 560 57,058 102  

2017/04/21(金)他国へ運び出される兵粮を足軽が押収すること

〇永禄11年比定の北条氏邦朱印状で、他所へ移動しようとした兵粮は、発見した足軽に渡されるとしている。

敵働由候間、他所へ兵粮為無御印判、一駄も越ニ付者、見逢ニ足軽ニ被下候、其身事者、可被掛磔、小屋之義者、金尾・風夫・鉢形・西之入相定候、十五已前六十已後之男、悉書立可申上者也、仍如件、
辰十月廿三日/(朱印「翕邦把福」)/三山奉阿佐美郷井上孫七郎殿
戦国遺文後北条氏編1102「北条氏邦朱印状」(井上文書) 1568(永禄11)年

〇天正2年比定の虎朱印状で、他所へ移動しようとした兵粮を実際に押収した例がある。但し、押収者の植松右京亮に渡されはしたが、その後北条氏光が他の者に渡すよう指示している。

背御法度、為無御印判他国江出候兵粮、相押申上候、神妙ニ候、彼押置粮百四俵、植松ニ出置候、可請取者也、仍如件、
甲戌六月廿三日/(虎朱印)清水奉之/植松右京亮殿
戦国遺文後北条氏編1708「北条家朱印状」(稲村徳氏所蔵植松文書)

此度越度を以被召上兵粮百四俵、御直与一郎ニ於五ヶ村早ゝ相渡、請取を取、可懸御目者也、仍如件、
甲戌七月四日/(朱印「桐圭」)二宮奉/植松右京亮殿
戦国遺文後北条氏編1711「北条氏光朱印状」(稲村徳氏所蔵文書)

まあ、そうなるよね……。